思い出はどこへ行くのか? ― 2004.10.23 ―

夢のなかで死者と出会う

エフェ・ピグミーの死生観を探る

澤田昌人(京都精華大学人文学部社会メディア学科)


アフリカ中央部、コンゴ民主共和国の熱帯森林に、狩猟採集、あるいは小さな畑を作って暮らしているエフェ・ピグミーと呼ばれる人たちが暮らしています。澤田さんは彼らのキャンプに住み込んで、歌と踊り、生活、生業活動の記録などを続けています。エフェの人びとの歌と踊りの素晴らしさに感激した澤田さんは、歌と踊りについて調べていくうちに、死後の世界やいま生きている世界についての彼らの考え方に惹かれていきました。というのも、彼らの歌と踊りのほとんどすべてが、夢のなかで死者から教えられたものだったのです。



エフェ・ピグミーの歌と踊り

 ピグミーの歌は濃密なポリフォニーというのが有名でして、だいたい二〇人ぐらいいると、二〇通りの声を出しているんです。同じ声を出している人は一人もいないです。レパートリーが全部分かれていて、それを分担してやっているかというとそうじゃなくて、新しい人が歌の輪に入っていくとき、自分がどういう声を出すかというのはわかってるわけです。他の人の声を全部聞いて、自分がどこにどの音を入れるのかということをこの人たちは本当にやっているのかということについては、やっているとしかいいようがないです。歩けない乳児のうちから背中に負ぶわれて濃密なポリフォニーを聞いているわけですね。
 歌と踊りというものがこの人たちの生活の中心のひとつなんですね。生活というのは、寝る、起きる、ご飯を食べる、狩猟採集に行く、歌い踊る、ですね。何が一番楽しいかというとこれが一番楽しい。お祭りの時にやるというわけじゃなくて、やりたいからやる。しょっちゅうやっています。どこかで太鼓が鳴って歌と踊りが聞こえてくると近隣のキャンプから暗い夜、新月の夜でもほとほとと森の中を数人ずつ連れだって集まってきて、だんだん声が大きくなって盛り上がってきます。そうするとまたもっと遠くから人が来るという具合で夜を徹してやることもあります。
 エフェのほとんど全ての歌と踊りはその起源が知られています。この歌が始まったのはどういう経緯であったか、というのが伝えられていたり、あるいはこの歌を始めた本人そのものが「この歌はこういう風にして始まったんだ」というの説明するわけです。名も知れぬ人が始めて、ずっとそのまんまやっているといういわゆる伝統音楽ではなくて、歌と踊りを始めた個人が特定されている場合が多い。もっと大昔のものは個人が特定されていないものもまれにはありますけれども、そういうものはほとんど現在では歌い踊られるということはない。なぜかというと次から次へと新しいレパートリーが誕生し続けていて、現在もおそらく誕生し続けていると思います。
 その誕生の仕方というのは、ほとんどの場合、亡くなった人が夢の中に出てきて歌と踊りを踊ってくれる。それで目が覚めて、その夢の中で見た歌と踊りをみんなに教えて始まるという仕組みになっているわけです。夢で見ていないというものもまれにはありますけれども、それはだいたい森の中で一人で狩りかなにかしている時に、森を歩いている時に聞いたと。死者が森の奥で歌い踊っているのを見たたのだと言われます。
 先ほど言いました「死者にどのように教えられたのか」ということで事例を二つほどあげます。

【事例一】
シンバの乱の後のことである。アビオンの実の兄弟であるパムカバが亡くなった。その時彼の家族は喪に服し、二週間小屋の外て寝ていた。その後、キャンプの小屋の中で寝るようになったときに、アビオンの夢の中にパムカバとその他の故人が現れた。これらの人びとがオベ(踊りをともなう歌のこと)を歌い踊った。彼らはシベットの毛皮をかぶったり、ライオンの皮を着ていたりした。アビオンは夢を見たらすぐ、夜中にキャンプの人びとを起こして、このオベを教えた。このオベを「イエレ」とよぶのも、パムカバかが夢の中てオベの名前を教えてくれたのである。

 「シンバの乱」というのは一九六〇年のコンゴ独立直後から始まったコンゴ動乱の中で、もっとも大きな反乱の一つで、そのちょっと後のことだから一九六五年か六六年ぐらいのことではないかなと思います。これはアビオンの息子か娘に聞いた話です。
 つぎの事例二は、だいぶ最近のことで、これは本人に聞きました。

【事例二】
一九八五年ころ、カコ(地名)にあるキャンプで夜寝ているときに夢を見た。米の収穫期であったから年末の乾期にあたる季節であったろう。夢の中で色の薄い女のいるキャンプにマタロルはいた。森の中の、男女子供もいる大きなキャンプだった。マタロルは一人でそのキャンプを訪れたのだった。彼らはマタロルを見て「ハーオー」という声を出して笑ったという。その後マタロルの亡父の姉(夢見た時点ですでに死亡)が手をたたき、歌を歌いだした。その姿は亡くなったころの姿そのままであった。マタロルの夫の母方のおじもすでに故人であったが、そこにいた。はじめに亡父の姉が歌い、他の者もその後参加した。タイコも使っていた。人びとは歌って踊っていた。夢の中で、マタロルは聞いているだけで、歌ったり、踊ったりはしなかった。夢の中でオベを見たのはこれが始めてである。起きてからマタロルはこの夢で見た歌をすぐ歌いだし、夫もこれには驚いた。キャンプの者も驚いた。

 本人はマタロルというピグミーの女の人ですけれども、もう亡くなりました。
 この世、いわゆる我々が見たり聞いたりできる世界での歌と踊りはほとんど全て死んだ人から教えられたものであって、今その歌を歌い踊るということは結局夢の中で自分が見た死者が歌い踊っている、その歌と踊りをなぞっている。つまりオリジナルは死者の方にあって、現在の我々の方はそのコピーをやっているということになるわけです。
 その一つの理想型としては、死んだ人と生きている人が想像の中で一緒に踊っているということがあるのかも知れないと思っていました。すると次の事例三のような夢を聞きました。

【事例三】
今日私は夢を見た。私はあるオベを遠い村に伝えるために、森の中を旅していた。その途中死者に出会った。彼女らはすべてエフェの女だった。死者は目的の村で、私と一緒に踊りたいと頼んできたので、聞き入れてやり一緒に出かけた。村に着いて歓迎をうけ、私は歌い始めた。死者たちはまず村はずれの森の中に待機していて、私の歌に応唱した。私が三回歌い、彼らが三回応唱し、いよいよ死者たちが村の広場に出てきた。そしてオベはたいそう盛り上がった。私たちは歌い踊り、歌い踊り……。

 この夢には実は続きがあって、へんてこな話ですが、この歌と踊りをやっている最中にその村で人が死んでしまったんですね。死者が出てきているのに人が死ぬというのも変な話ですが、一緒に踊っていた死者がこの死んだ人間を薬を用いて生き返らせて、歌と踊りがますます盛り上がったというのです。なんか深読みしたい心理学者の人にはすごく面白そうな話です。いずれにしろ死者と生者が一緒に歌い踊るということも夢の中では出てくるということです。



森は死者と出会う場所

 じゃあ死んだ人はどこにいるか、ということなんですが、実は死んだ人は遠い世界にいるのではない。死んだらどこに行くんだ、と聞くと、森の奥に住んでるというわけです。森の奥というのはなかなか人間が行くところではありませんが、それでも森というのは人間が利用する世界であって、実は森の中で知らない人、あるいは死んだ人とばったりと出会うことがときどきある。そういうことがあるので、なおさら森の奥に死者が住んでいるんだと、死んだらそこに行くんだということを確信する根拠となっているんですね。

【事例四】
バブというエフェは、現在壮年の男性であるが、その彼がまだ結婚前の若者だった頃のことである。朝早く起きると、彼はひとりで森に出かけた。サルを毒矢でしとめるためである。森の中がすっかり明るくなった頃、知らない男が目の前を通り過ぎた。一瞬の後、その姿は風にざわめく森の樹々の間に消えてしまった。その姿に見覚えはなかったが、バブは森に住むという死者と偶然出会ったのだと考えている。

 実際、見えないものが急に現れて見えるようになったという風に語られてない点に注意して頂きたいんですが、実際にいるということになっているんですよね。森の奥に必ずいて、それが普段見えなくて出てくるんじゃなくて、いるけど出会わないだけなんですよ、基本的には。
 事例五というのは、これは夢の中に出てくる死者のイメージですが、死者が全然別のところに住んでいるという感覚がよく出ている。アピトコ君というのは、私の無二の親友です。エフェと共存している焼畑農耕民「バレセ」っていう民族の青年です。ただアピトコ君のお父さんのお母さんはピグミーさんつまりエフェなんですね。

【事例五】
アピトコというバレセの青年は、母方のおじの夢を見た。そのおじは盲腸炎で二ヵ月半ほど前に亡くなっていた。夢の中でアピトコはおじ夫婦(妻の方は健在であった)と一緒にヤシ酒を飲みに行った。おじは飲み終わった後、アピトコと自分の妻に、「君たちは戻りなさい。私も戻るから」といった。アピトコとおじの妻は「あなたはどこに戻るのですか。私たちと一緒に村に戻りましょう」といった。おじは「私はずいぶん前に村を出たのでそこには私の家はない。今の私の村は別にある」という。アピトコとおじの妻が渋るとおじは「一緒に行こう。村近くまで送っていくよ」といった。村の近くに来るとおじは「君たちは行きなさい」といった。アピトコとおじの妻は聞き入れず、しつこく食い下がったがおじはそのまま行ってしまい、どこにどの道を通って消えたのか分からなかった。そこで夜中に目が覚めた。アピトコは泣き出した。

 結局森の中で死者はどのように暮らしているのかと聞くと、森の中でも生前と同じ暮らしていると答えます。森の奥にある山のいくつかはその山の上に死者の村があるといわれています。人々の話し声や、飼っている鶏の鳴き声が上から聞こえるといいます。下を通りかかった時に上から声がかかる時もあるという風にもいわれていますし、という人はそこら辺にたくさんいるわけです。
「そのような声を聞いた」
 夢の中で死者の村やキャンプを訪れる例もしばしばあるので、人々にとって死者が森の中に暮らしているということについては、ほぼ疑いなくそう受けとられていると考えていいのではないかと私は思います。
 また死者はいろいろな生活技術を夢の中で教えてくれます。

【事例六】
ウクガフはもう故人であるが、生前はアンディリ村にいた。彼は夢に見てブタリ(矢毒)を作っていた。ほかの人にはその作り方を教えることはなかった。ただ他人の矢に彼のブタリを塗ってくれただけである。彼は「亡父が夢に出てきて教えてくれた」と言っていた。亡父は生前彼にゾウを殺す呪薬を教えてくれたが、ブタリは教えてくれなかった。死後だいぶたってから、夢の中で教えてくれたのだと言っていた。

 矢毒というのはサルを撃つ時に使うんです。サルは木の上にいますのでなかなか弓矢があたりません。そういうものを撃つ時に高価な貴重な鉄製の鏃を使うのはもったいないので、毒矢を使います。新しい毒矢の作り方、毒の作り方というのは次から次へと開発されているんです。いろいろな植物とかいろいろな動物の部位なんかを次々に試していますが、そういうものの作り方というのは実は秘伝で、他人には教えない。その製法を知るには二通りの方法しかなくて、ひとつはすでに知っている人から、鶏とかかなり価値のあるものと交換で教えられる方法がひとつ。もうひとつは夢に見る方法です。夢に見て、それはだいたい死者によって教えられるんですが、この二通りしかない。ということは、もともとは全部夢に見たということになるわけですよね。



死んだらどこに行くか

 夢のなかで、生きている人間の生活態度がけしからんといって死者が怒ることがあります。その場合は必ず現在の生活が正統的な伝統的な生活から逸脱しているという点を指摘して、指弾するわけですね。

【事例七】
亡くなった父を今日夢にみた。彼は青年時代の姿で弓矢を持ち、樹皮布のふんどしをつけ、一人で出てきた。亡父は私たちのキャンプを夜訪れた。彼はキャンプのエフェすべてにこういった。「なぜおまえたちは森を歩かないのか(つまり獲物を狩りに出かけよ、ということだという)。私は他のキャンプの者ばかりが森を歩いているのを見かける。お金を手に入れるために、私たちエフェの生活の道は森へ行くことしかない。おまえたち、キャンプの子供らは森を歩くことなくいつも同じ場所(すなわちキャンプ)に留まっている」。そこで(夢の中で)私たちは森に出かけた。

 近年では樹皮布のふんどしをつけている人はほとんどいません。だいたいカトリックミッションだのなんだのが短パンを配っていますので、ぼろぼろの短パンですがそういうものを履いている人たちが多い。樹皮布のふんどしっていうのは、いわば伝統的な衣装です。
 ピグミーたちは死んだら森の奥にいって先祖たちと一緒に住むんだという風に考えています。そう考えているけど、だんだん森の中に先祖がたまってきたらどうなるんだと。そこら中死者だらけということになりますが、そんな計算まではしてない。死んだ人間がもういっぺん赤ん坊としてメタモルフォーゼするという感覚もどこかにあるという気もするんですが、まだきっちりと調べ切れていないです。森の奥にいって先祖たちと一緒に住むのだとほぼそういう風に考えています。
 キリスト教徒を自称するエフェも多いのですが、彼らと真剣にその辺りのところを議論したことはありません。キリスト教徒の場合、天国に行くのか、森に行くのか、それとも森の中が天国だと言い張るのか。その辺りは議論したことはないですが、基本的に天国と森の奥というのは別々のものだと、キリスト教の宣教師たちはいっています。つまり不信心者が死んだら森の中に行くのであって、信仰の深い者はみんな天国に行くんだと。「シェターニ」、スワヒリ語で「サタン」のことで、森の中の死者のことをキリスト教のミッションの人たちはこう呼んでいるわけですが、ああいう連中と一緒に暮らすということになっては困るから信じなさいという風にいっているわけです。
 いろいろな話のついでに、「じゃあ僕(澤田)が死んだらどこに行くんだ?」という話になったことがあります。「当然おまえは死んだら森の中だ」「死者が住むという山の上におまえは行くに決まってるんだ」と言われました。いわゆるキリスト教徒以外のすべての人間が森の奥に行くと考えているのではなくて、毎日共に暮らしているというか、同じキャンプに家を作ってそこに暮らしている相手は死んだらどうせ皆と同じ場所に行くと想定しているということなのでしょう。死体が地中で骨になることは当然知られていますので、「死体が地中で骨になっているが、死者は五体満足な人間の姿で森を歩いているって一体どうなってるんだ?」と尋ねますと、骨は地面の中にあるけど自分自身というのは森の奥に行くんだと答えます。



近代社会は未来への責任をとらない

 今までお話ししたように、エフェの生き方には先祖、すなわち死者と同じ生活への強い指向性が見られるんですね。歌と踊りも死者に教えられる。生活の様々な技術も死者から教えられる。死者から「おまえはちゃんと生きてない」といわれる。死者、あるいは先祖というところから現在の生活というものが導き出されるという説明の仕方を彼らはするわけです。
 ご想像の通りこの地域のカトリックミッションとかプロテスタントミッションの人たちというのは、ピグミーたちをなんとかキリスト教化しようと何十年も前から多大な努力をしてきましたけれども、非常に限定された形での成功しかしてないですね。たとえば地域で金の鉱脈が発見されてピグミーたちが狩猟採集をやめて砂金採りが生業になってしまった場合、それで手に入れたお金によって自分の食べものを市場で購入するという、生活様式がまったく変わった状況になった地域では、急速にキリスト教化していくということが見られます。しかし私の調査地は残念ながら砂金も出ないしダイアモンドも出ないし、なんにも出ないのでいくら努力してもなかなかキリスト教を受け入れてもらえないですね。
 日本もそうですが、いわゆる欧米の近代文明をとりいれた社会では、人は死んだら天にまします神のもとへ行く、あるいは「人は死んだらゴミになる」という考え方が共存しています。これらは正反対の考え方のように見えますけれども、エフェやバレセの死生観と対比させれば二つともよく似ています。どこがよく似ているかというと、いずれも死んだらこの世での生活とはまったく無縁になるという主張をしている。
 エフェのように、死者の世界に移ったところで、自分の生活は変わらない。歌も踊りもある。どうせ喧嘩もある。こういう世界観を世代を超えて持ち続けるためには何が必要かといいますと、ある世代がその生活様式を劇的に変えるということがあってはならないはずですね。世代世代が前の世代とほぼ同様のことをやっていかなければ維持できない。しかも自分たちが狩猟採集をやっているということの意味というのか根拠というのは以前の世代にあるという風に思い続けなければならないわけです。当然近代というものはそういう世界というものを前提にはしておりません。きつい言い方をすれば、子供の世代によって親の世代を否定するということをずっと繰り返していくというのが近代の世代のあり方であって、自分の世代がその子供の世代によって否定されるということも前提にしている、そういう社会だと思います。
 死んでゴミになると思っているのであれば、この世の中で倫理というものがそもそも成り立つのか。なんでもありでええやないかということになりはしないでしょうか。更にもっといえば超越神のところに行ったり、ゴミになったりして、この世とのつながりが切れてしまうということは、基本的にこの世界の社会とか環境に対して生きている人間の責任が決定的には問われないという世界観にもつながります。今ある環境とか社会関係、これを基本的に大事にしなければいけない根拠というのは、死に近づけば近づくほどなくなってきますね。いわゆる年齢が行けば行くほど、我々はそういう責任についての感覚がなくなっていくことが想定されます。これは近代というものが現在の環境、社会関係というものについて無頓着である大きな理由だと思っています。
 簡単にまとめさせて頂くならば、エフェピグミーという人たちは自分たちの生きている世界というものが、基本的に死者の世界をなぞっている。言い換えたら、思い出しているといってもいいですけれども、なぞっているというイメージで暮らしていると考えるのが一番わかりやすいかなと思います。「遠い昔我々が歌い踊っていたものを死者がずっと覚えていて、我々の方はたまたまそれを忘れてしまっていた。そこで死者のキャンプからそれが伝わってきてここでやっているんだ」というような言い方をするわけですね。時間というものも世代というものも基本的にはなかったというイメージを語る人もいます。死というものによって分けられているはずの先祖と我々というのは実は今でも交流している。なぜかというとそれはもともとこの世界には死というものがなかった。たまたま死というものができて、生者と死者が離れているように見えるけれども、元来はやっぱり一つなんだというようなイメージで語れるのではないかなと思います。

(編集 小山茂樹@ブックポケット)





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