思い出はどこへ行くのか? ― 2006.07.16 ―

[みんぱく共同研究会第12回]
[国立民族学博物館2階第4セミナー室 2006年7月16日 13:00-]
[参加]
岸野貴光 小山修三 須永剛司 大谷裕子 加藤ゆうこ 國頭吾郎 久保正敏 久保隅綾 佐藤浩司 佐藤優香 清水郁郎 角康之 長浜宏和 野島久雄 南保輔 山本泰則 平川智章

全記録

表現の社会が始まるか?

 ご紹介いただきました須永です。私は、この「ゆもか」のメンバーですが、チョー出席の悪いメンバーでして、どうも去年の今ごろ出させていただいた後、ほぼ1年ぐらいずっと欠席という状況でありました。野島さんからついに呼び出しを食らいまして、何でそんなに来れないんだということで、言いわけなんですけれども、おもしろいシステムを、ここにあります北海道十勝の農業をテーマに、もともと農水省のプロジェクトで、農業をテーマにした博物館をつくるという仕事をてんてこ舞いでやっておりまして、きょうは、その僕がデザインしたシステムを紹介させていただきたいと思います。これはまさに思い出を表現していくための道具、地域の思い出を表現して集積するという道具をつくったんですね。まだちょっとうまく動いてないとこもあるのですけれども、6月初めに一般公開して、今、少しずつ使われ始めているところです。このシステムを後ほど紹介させていただきますが、なぜこんなものをつくっているのかという話を最初にさせていただいて、その後、この仕組みを簡単にご紹介したいと思います。

 僕は、多摩美術大学の美術学部にある情報デザイン学科でデザイナーを育てている仕事をしています。この学科は、今から8年ちょっと前の1998年にスタートした、美術大学の中でも新しい領域をカバーしようということでカリキュラムを一生懸命つくって、直して、つくってということを始めて、大体落ち着いてきたかなと思っています。ただ、社会の趨勢、大きないろんなことが技術的にも、社会的にも変革しているのにあわせて、余り落ち着いてられないなということも我々はひしひしと感じています。どんどんリニューアルしていかないと、学生たちが興味を持ってくれないという、そういう分野です。

 情報デザインというのは、僕のやっているのは、デザインというのは、もともと20世紀のデザインといってもいいと思うのですが、例えば、工業生産品に形を与えるとか、建築に形を与える。それはみんな人間に適合するように形をつくってきたのですが、グラフィックデザインというのは、目に見えるグラフィックですね、ビジュアルグラフィックスに形を与えるという仕事をしてきたのですが、僕がやっているのは、もう少し新しいデザインの素材として、コンピュータ、情報技術、ネットワーク、それらの技術がつくり出しているさまざまな産物に形を与えようということで、「情報デザイン」という分野をつくったんですね。主に動いちゃうものと変化しちゃうもの、変化し動いているもの、それから、今までデザインが余り問題にしてこなかった認知とか言語、そういう人間の思考と認識に深くかかわるようなオブジェクトをデザインの対象として形づくろうという、そういう分野です。ということなので、一つの僕らの興味の対象として、人間の表現とか、思い出とかいうことも大事なエレメントになっています。

 そこで、きょうお話したいのは、まだ名前はふにゃふにゃなんですが、「市民芸術」という、そういう表現の領域というものを設定して、一般の人々が表現していく、そういうことを支えるようなプラットホームをつくっていきたいなという研究をここ何年かしていて、その一つがさっき見ていただいた十勝の博物館の情報システムですが、その博物館システムをつくった背景にある一般の人々の表現を支えようとするデザインの問題についてお話をしたいと思います。

information Design approach

 最初に、あるとき、多摩美の先生、僕の友人の先生からお聞きした話ですけれども、ここに書いてあるように、いわゆる学問というか、科学的理性の脳みそと、それから美術やデザインの創造的活動の脳みその動きは、実は逆向きの回転をしているんだと、そう言ったんですね。どういうふうに逆向きなのかというと、科学的・理念的頭の回転というのは、ちょうどここに書いてあるものと反対向きなんです。Explanation と書いてあるのは「ロジック」ですね。まずロジックがあって、そのロジックを、4番から始まるのが科学者の頭である。それを組み立てて何らかの形に2番で表現すると、1番で社会の中に見える存在になってくる、そういう論理を組み立てて社会に示す、それが科学とか理念世界の時計回りなんですが、クリエーターはそういう方法は全くやっていないんだ。何からやっているかというと、まずビジョンを持つ。そうすると、理由もなく表現ができる。表現すると、表現したものを見て、そのコンストラクション、その組み立てを表現者、クリエーターは考える。「何だ、こう組み立てるのか」と思って、その表現したものがどんな社会的な価値なり、意味なりというものを、あるいは表現したものそれ自体のロジックというものを最後に手に入れる。こういう順番でやっていて、全然逆なんだということをおっしゃったんですね。

 僕は、これを聞いて、僕が小学校から高等学校まで勉強したことと、美術の世界に入って体得したことが、ある意味全然つながらないことに恐れおののいていたんですが、これを聞いて、つながらなくていいんだ、同じパターンじゃなくていいんだということを思ったんですね。なので、我々の研究とか、デザインの実際の開発とか、デザインにかかわる研究というのは、どうもこの順序を踏まえないと、一体何をやっているのかわからなくなっちゃう。

 もう一つは、今回のお話の一つのテーマなんですが、我々はデザイナーなので、つくるのは人工物です。システムをつくる、設計するというのが僕らの仕事なんだけれども、社会で使われる情報のシステムというのを設計しようとすると、どうしても人々の情報活動あるいは言語活動、その活動そのものも設計しないと、その設計したシステムを利用する人がどこにもいないということに陥ることが非常にはっきりわかってきました。なので、我々のシステム設計、情報システムの設計というのは相互に補い合うような関係にある2つのゴール、つまり、人々の活動の形成とシステムの構築という2面をゴールとして持っています。そういうことを今回はお話しようと思います。

 どうして「市民芸術」というテーマを掲げているのかということをお話して、そして、我々の行っている市民芸術創設といっているプラットホーム構築の基本概念を最初に言っておいて、それから、我々の考えている市民芸術を支えてくれるような議論が、幾つもあったのですけれども、この2つをきょうお話したい。一つは、鶴見俊輔さんの「限界芸術論」、もう一つは、レヴィ・ストロースが「bricolages」という話の中で美術について少し言っていて、その中に我々美術家が納得するようなことがあったので、その話をします。どちらも市民芸術の何たるかというのを支えてくれるような議論です。それから、我々のつくろうとしているプラットホームはどんなものなのか、これまでと今後の展望、今までつくってきたものとこれからつくろうとしているものの展望です。イメージとして、つくろうとしてるのはどんなものかというビジョンをお見せしたいと思います。

1.この研究開発の背景:表現の社会・表現の知

 (1)「表現の社会」がはじまったこと

 いろいろ世の中を騒がしているいろんなお話があるんですが、例えば、「Web2.0」と言われているような新しいネットの社会ができつつある。皆さんが見ているブログあるいは Social Networking Service、「Mixi」というものが有名なんですけれども、こういういろんなサービスが提供されて、多くの人が使い始めています。あるいは、User Generated Contents という言い方で、これは、まさにさっきの十勝のもそうなんですが、システム提供者がつくっているコンテンツじゃなくて、システムのユーザー側がどんどんコンテンツをつくるという、そういうアクティビティが起きている。こういうものは、どうも社会のさまざまな人が表現をつくる時代が始まっているのじゃないかなと、そういうふうに考えられるのですね。

 そういうさまざまな表現と表現活動、表現された結果、アウトプットと表現活動が、我々の社会の価値あるリソースになるのじゃないか。それも、ある種のオーガニゼーションをすれば、価値ある資源になる。実際、グーグルという会社は、彼らの会社のミッションステートメントに書いてある「オーガナイジングインフォメーション」という、さまざまな情報を組織化するというサービスを、知的・技術的サービスを提供するというのがグーグルの一つのミッションだと表明しています。これは、まさに新しいウェブの社会の一つの大事な社会的仕事だと言われています。

 後は、インフォメーションをオーガナイズするのもいいんだけれども、我々はもうちょっと前に踏み込んで、オーガナイジングコンテンツ、さまざまな人々が持っている表現、この研究会のテーマで思い出でもいいんですが、それを組織化するという、アウトプットを組織化するという技術がこの社会に必要となってくるんだろうと思います。これまでは出版、放送といったメディアがオーガナイジングしてくれたんですね、新聞もそうです。ただ、それ以外のコンテンツが山のようにあふれ出ているのですけれども、社会的な組織化の仕組みがまだちゃんとできていない。グーグルは一つのその検索エンジンのデザインということでやっています。

 後は、グーグルマップ、我々も十勝のミュージアムは、先ほど見たように、十勝の地図をベースにしているのですが、オーガナイジングするためのメソッドとして2つの考え方があって、これまでインターネットの情報の組織化の原型枠を時間系の軸で、ブログもそうですね、メールも全部時間管理されている、そういう組織化はなされているのですが、どうも我々が十勝でやったのも、ちょうど時を同じくしてグーグルが公開したグーグルマップ、あるいは、グーグルアースという人工衛星の写真の世界の地図が公開されていますけれども、もう一つのオーガニゼーションとしてスペシャルオーガニゼーションというのが、どうも情報を管理するために重要な仕組みになるのじゃないか、そう言われています。

 (2)「表現の知」が形成される可能性

 もう一つ、そういう時代を見ると、僕は、単に表現がいっぱいあるということで終わらなくて、新しいノレッジというのか、ウィズダムというのか、新しいこの社会の知恵というのか、知というものが抽出されてくるのではないか、そういうことが可能なのではないかと思っています。それを「表現の知」が形成される可能性と考えています。

 どんな知かというと、まず非常におもしろいのは、人々の表現、例えば、思い出が表現されたものでもいいですが、それが2~3枚見ている間は、大した社会的価値という意味では小さなものですけれども、それが何万、何百万というコンテンツが集まったとき、そこに今生きている、あるいはかつて生きた人々の関心というものが形になってあらわれ出るのじゃないか。

 それから、いま現在生きている人たちの関心というのは、我々の社会が進むもうとしている方向性、あるいは、つくろうとしている社会のビジョンといったものも示しているのではないか。もちろんマーケティングやさまざまな調査でこういうデータをとってビジネスにしている人はいるんですが、そういう専門家の世界じゃなくて、一般市民の表現を、一般市民が自分たちで新しい社会のウイズダムとして吟味する、そういうことが可能になっているのではないか、それが「表現の知」、そういう新しいフェーズだと思うんです。

 この「表現の知」というのは、さっきの時計の逆回りの知だと僕は思っているんですね。だから、要するに、カテゴリー化された説明があって、そこに何か当てはまるようなものじゃないんですね。たくさんのエクスプレッションズが世の中にあふれ出ている。それをある種のエンジンでコンストラクトしていくという、逆順ですね。コンストラクトのある構造、ある仕組みをここで見出していく。そうすると、その社会を支える、あるいはこれからつくろうとしてる社会のロジックというものを抽出できるのじゃないか、そういう見方を考えているのです。

 こういう「表現の社会」と「表現の知」というものがどうも匂う、今の世の中あるいはITの産物として。

 2.市民芸術創出プラットフォーム構築のねらいと基本概念

 それで、我々は、人々の表現を「市民芸術」と呼んでいます。これは、いわゆる美術や芸術が、芸術家と言われる人たちと、それから美術・芸術大学という制度の中に取り込まれて、それ以外のところでやられている表現は美術でも芸術でもないような、そういう言われ方をしてきたと思うんですね。いつの間にかそうなっちゃった。それは、きっと大学をつくったり制度をつくる中で切り捨てちゃったんだろうけれども、だけど、そうじゃない、もっと非専門の人々もさまざまな表現をしている。思い出という、この研究会のテーマがそうですけれども、そういうものをとらえてみると、我々がやりたいのは、「表現」を組織化し社会化する仕組みづくりだと言えると思うんですね。

 (1)市民芸術

 市民芸術を我々は今こんなふうに考えています。

 人々が日々の体験やそこに生まれた知識を物語ること

それらの語り narrative を、さまざまな形式、写真、文章、語り(音声)、音楽、絵画、映像など、あるいはそれを複合体として表現すること

それらをメディア作品としてネットワークに集積、公開し、社会において共有・交換すること

そういうものを市民芸術のアウトプットであり、芸術活動、表現活動と考えたい。

 (2)創出

 そういうものをつくりたいというのは、一番ネックはこういうところです。人々がみずから自発的な表現活動を始める、そういう仕組みですね、一番つくるのが難しい仕組みです。だから、システムだけ設計したり、製造したりしても、全然事は始まらない、そういう部分を考えたい、考えざるを得ないですね。

 (3)プラットフォーム

 プラットフォームというのは何かというと、エネルギーに満ちた人々の表現活動が facilitate される場なんだと。

 そのためには、自分たちの表現をネット上に挙げる、投稿する仕組みですね。

 それから、それの再構成の仕組み。

 それから、表現活動を支えるプログラム、社会的プログラムの提供、こういうところまで何か考えないと、きっとうまくいかないだろう。

 (4)構築

 全体を構築するというのは、そういう仕組みと人の活動の仕組みと技術の仕組みと両方つくろうと考えています。

 3.限界芸術 marginal art , art with no clear place としての市民芸術

 一つは、先ほどの鶴見さんの「限界芸術論」の中で、純粋芸術、これはいわゆるファインアートです。こちらが大衆芸術で、これはデザインとかマスメディアの中のある種の専門的・美術的活動、デザインと呼ばれているようなものがここに入ると思うんです。それ以外にこんなにいっぱいあるよと言っている、その marginal art がいっぱいあるわけです。羽子板とか、盆栽とか、そういうものがいっぱいあったんだと。これを復元しないと、芸術というのは本格的な力を持ち得ないと、そういう論を言われていて、僕らも、まさにここに我々がやりたい市民の表現というのも、きっとこの中に位置づけることができるのじゃないかなと思っています。

 後は、シェリー・タークル(Sherry Turkle)という人が、女の方ですが、「限界芸術( marginal art )」と訳された「 margin」というものに対して、これはコンピュータを人間に使えるようにしようという議論の中で言っているのですが、非常におもしろいことを言っているんです。マージナルオブジェクツは何かというと、 objects with no という、居場所がない、定められていない。まさにそうですね。デザインでもファインアートでもない。それじゃ何なのか。そういう居場所がない、僕らにとっては芸術・美術活動と。それは、On the lines between categoryies という、どこにもカテゴリー化することのできないちょうど中間にいて、 they draw attention to how we have drawn the lines という、その中間にあるものを見つめることで、私たちがどうやってそのカテゴリーをつくってきたのかということを私たち自身が気づくことができるのじゃみたいなことを言っていて、まさに我々もそういうところに興味があるんですね。芸術が右の2つだけだと、かなりひ弱なものだと思うんですけれども、それを強化するために、マージナルなどこに入れていいかわからないこういう表現活動を、もう一度表現活動としてとらえることで、表現活動全体の再認識というのか、再生が行われるだろう。表現活動をカテゴリー化している概念そのものの再編が行われるだろうと、そう思うんですね。そういう意味で、思いは非常に大きなところにあるんです。できることは、まずは、人々の表現ですけれども。

 4.芸術:知覚と概念の統合体として表現が編まれた世界

 もう一つは、こちらでも展覧会をされていましたけれども、ブリコラージュ( bricolages )の話を読んでみると、すごくいいことが書いてあったんですね。レヴィ・ストロースの議論は、科学と生活を対比されて、科学を概念、生活を出来事と呼んでいるんです。非常におもしろいことを言っているんです。美術というのはどこにあるのかというと、生活世界で生まれたもの、それにある種の概念構造を与えて、その2つを統合したときに美術の世界が生まれる。だから、さっきのここですね、この右の生活だけだとブリコラージュ、生活世界で淡々と生み出している便利なもの、だけど、美術や、我々はそれを「作品」と呼ぼうと思っているんですが、それを美術作品にするには、ここに何らかのリフレクティブな思考、認識が必要なんだと、それから、ある種のアカウンタビリティが必要なんだと。科学のほうは、きっとレヴィ・ストロースの言っている概念、構造の世界、こっちの構造で生活のほうでつくられたものを説明してみるという、知覚と概念の統合体としてここで生まれた表現が何かの形で編み直される。そうすると、そこに作品の世界が生まれて、それを僕は「美術」と呼ぼうと思うんです。レヴィス・ストロースは「美術」と呼んでいるし、我々が市民芸術というときの市民芸術のある品質というのか、そういうものをもたらされたもの。絵がうまいとかなんかじゃないんですね。表現したものを表現者自身が振り返ったかどうかということだけなんです。

 市民芸術は、生活世界から美術の世界へ表現を押し込んでいくというか、そういうベクトルが働いている、この右の矢印を我々はつくりたいなと思っているんです。

 もう一つ、ちょうどこれと相対するものは、「現代芸術」というものを皆さんはご存じだと思うんですが、大体は部屋を暗くしてやっているんですね。モニターをやったり、映像をやったりしています。彼らの作品は、ほとんどの人が見ても意味はわからないんですね。どうやってわかるかというと、彼らの概念構造としての説明された世界を読んだり、聞いたりして、「あっ、なるほどね」という、そういう芸術があるんですね。そういう芸術のちょうど反対側を、反対のベクトル、方向性を向いた活動というのがないんですよ。こっちは美術大学でしっかり存在しています。だけど、これはほとんどやらないですね。そういう意味で、我々は、新しい試みとしてやる意義があるかなと思っています。

 5.構想:プラットフォーム構築の課題とその構成

 プラットフォームというのは、話が細かくなっちゃうんですが、僕たちは、何をやろうとしているかというと、一般の市民が日常の体験を表現するためには、「いま・ここで」表現できないと、なかなかやらないですね。家に帰ってやろうと、アトリエがないとできないとか、そういうことじゃなくて、いつでも、どこでも表現ができるという、そういう場をつくろうと。これは技術的にも携帯電話みたいなものですね。

 それから、もう一つは、その集積した表現というものを「俯瞰」したり「再構成」したりするデザインと技術が必要ですね。それもつくろうと思う。

 もう一つは、今ここで生まれた個々の作品を「共有」するネットワーク、あるいは再構成する、組み立て直すネットワークというものが必要だろうと。ここにもやっぱりある種の場が必要だし、そのさせる技術がなければいけない。

 もう一つここでやってみたいなと思っているのは、さっきの「表現の知」に近いんだけれども、人々が何を表現したのか、どのように表現したのかという、そのメタ表現を残せるのじゃないか。そういう一つはインデッキシングだけれども、もうちょっと深めて表現活動の「メタモデル」というものも抽出できるような仕組みがないかなと考えてます。

 6.プラットフォームのビジョン

 いろいろ可能性はあると思うんですが、これが、今回6月にオープンした十勝のミュージアムのシステムです。

 後は、幾つか、Mini-Munchen という非常におもしろい活動をしているドイツのグループがあって、これも非常に近いですね。子どもたちが小さなミュンヘンのまちをつくっているという、そういう活動です。

 それから、これは小田原の「原風景百選」という活動です。 10万人ぐらいいる市民にアンケートをとって、皆さんの思い出を千数百件か収集できて、その中から 100ゾーンを小田原市が選定した。これもこの春に発表されたものです。

 後は、我々の研究室でやっている大量データの3次元空間でそれを可視化するという技術です。これは我々のデザインと技術系の大学との共同研究ですけれども、同じように、こういう人間関係を動的にマップにしていくという、これはまだ技術研究ですね、工学部でやっている。

 これも我々デザインと工学の共同研究でやっている「本の未来」ということで、さまざまなコンテンツを新しくオーガナイズするような空間デザインというものをやっています。

 これをどういうふうに設計するために、例えば、十勝のこの道具をつくるためには、実際に十勝で、子どもたち、お母さんたち、農家のおじさんたちと一緒にワークショップをやる。Workshop as designing と、ワークショップというデザイン行為、スケッチ行為ですね、ちょうど図面をかいたりするのと同じようにワークショップを行うことができる、そういうことをやっています。

 ■とかちのミュージアム

 こういうことをやっています。その一つの事例として、十勝のミュージアムの仕組みをお見せしたいのです。

 これは何かというと、十勝の3市町村、この白くなっているところがこのミュージアムを動かしている3市町村です。この辺が帯広市で、この上のほうが芽室町で、この下のほうに中札内村という3市町村が運営するミュージアムです。この白いエリアを行政的にはカバーしているということで、この地図のエリアにいる人が、携帯電話で自分の気に入ったものを写真を撮ってこのミュージアムに送ると、このミュージアム上でそれが映し出されるんですね。こういうふうにサムネル状に入ってきて、それぞれ開くと、自分の投稿したものがカードになって見えてきます。

 ミュージアムの建物も3カ所ですね、3市町村それぞれあって、この青いバーは、この土地であるコンテンツ、あるリソースを提供する人たちを「サテライト」と呼んでいるんですけれども、そのサテライトの人たちが、日々自分たちの活動を送ることができる。携帯電話を使って送ることができる。これは事前にできているものですけれども、新しい情報をその都度改定することができる。

 今ちょっとなくなっちゃいましたが、こっちから説明しますと、この建物に関連してここのメンバーが投稿したカード、ここに関連して一般会員が投稿したカード、そういうものがここにくっついています、くっつけることができる。今はまだテストをしているようで、余り中身がちゃんとしたものが入っていない。これが、いわゆる発信者側のコンテンツがここに見えていて、緑色が、会員が投稿したものですね。

 後は、僕が7月 10日から2日、3日、ここにある中学校と共同プロジェクトをやっていて、向こうで中学生たちとワークショップをやってきたんですね。ゴールは、このシステムを使って子どもたちの総合的学習の表現ツールにしようということで、8月にそれをやるんですが、そのための準備のワークショップをやってきたんです。そのときの議事がまだ残っていればいいんですが、ないですね。すみません。余りうまくサーバーのほうが動いていないですね。

 このシステムは、先ほどの続きですが、我々が User Generated Contents というものをどうやって社会の共有財産にしていくのかという、そのためのプラットホームとして、たまさか今回は農水省のプロジェクトで、農業知識を残そうという、それが広がって、生産者と消費者、生活者の共通の対話のプラットホームにしようという、そういうコンセプトでつくられたものですね。だから、この中には、本当は半分、実際6月からも大分投稿されているのですけれども、きょうはちょっと見えませんけれども、農家の方の農業日誌ですね、今は何を植えたよとか、どんな手入れをしているよとかいうことがアップされ始めています。そういう場所をつくるということを考えているんですね。

 もう一つは、先ほどお話したように、活動のほうをデザインしなきゃいけないということに気づいてきました。それで、つくること同時に、使うことをどうやってデザインするのか。

 それから、さらに、使うことのデザインのためには、使い手自身がやってみたいことというのを見つけなきゃいけないですね。それは、行政とかデザインが見つけるだけじゃなくて、それで使う人たちを巻き込んで、使う人自身が何をやりたいのかを見つけて、彼ら自身が組み立てるという、その仕組みをつくらないと、なかなかこういうものはうまくいかないと思っています。それで、中学校の学習プログラムに我々が今、参加させてもらって、そういう表現したい気持ちをつくる。それから、表現したい気持ちをこの道具の上で表現してみるということをやり始めています。

 こういう課題を持っていて、これは「とかち田園空間博物館」ということで、もともと田園空間博物館というのは、美しい農村地域やその全体が博物館だという、エコロジカルミュージアム、エコミューゼの考え方に基づいているプロジェクトで、こういう 40 キロぐらいの広い平野全体が生きたミュージアムなんだということです。それのためのもちろん建物もつくるし、いろんなことをつくろうという話があったんですね。その中で、いろんなリソース、その土地が持っている資源に看板を立てるという予算があって、その予算を看板をつくるのをやめて情報システムの開発に充てようということで、この情報システムがつくれたんです。だから、十勝の場合は、行っても物理的な看板は立っていないです。看板のかわりに、生活者が自分自身で、あるいは観光客が自分たち自身で十勝の気に入ったところをミュージアムにアップしていくという、そういうことを考えたのです。

 2つあって、緑のがある種の案内図です。これは、最初にその土地の資源になるような、農村資源ですが、今は百数十手が挙がっていまして、それが 200 、 300 増えていくと思うんですが、そういう発信記者、それからビジターが同じようにコンテンツを投稿する。それぞれ自分のカードの一部に自分の小さなホームページをつくれるのです。個人がホームページをつくって、自分のカードを投稿する。これはアルバムと考えています。ホームページなんだけれども、内容的には各自の思い出アルバムというものを裏に持っていて、一個一個の思い出発見を投稿して、見せ合いながら、もう一個、もう一重レイヤーの裏にその思い出アルバムを見てもらうような、そういう交換の場所をつくっています。これが初期のスケッチです。

 物はこういう仕組みになってできていて、今、3市町村がそれぞれ小さなミュージアムの建物を持っていて、それぞれにサーバーのマシーンと大型のスクリーンと来客が使えるPCを持っている。ネット上から一般会員と資源を持っている発信者のサテライトというのがPCからもコンテンツを投稿・編集できるし、携帯電話からもコンテンツを投稿・編集できるという、そういう仕組みです。

 ユーザーが触れるものとしては、まず携帯電話があります。それから、今のPC上のギャラリーと呼んでいる地図上に自分たちの投稿したコンテンツを並べてくれるもの、見るもの、これは最新 20 件が常に表示されておりまして、さっきこの辺をいじくってやったように、いろんな条件で検索して、自分のだけとか、友達のだけとか、ある農家さんのだけとか、日付で条件づけたり、いろいろできます。

後は、1枚1枚のカードというのは、写真と本人のバター と本文と投稿日時。

それから、これが先ほどの「アルバム」と呼んでいる小さなホームページですけれども、カードにぶら下がった形、個人にぶら下がった形である。

それから、もう一つは、これはアプリケーションでして、ウインドウズで動くアプリケーションとして「スタジオ」というものをつくって、この小さなアルバムがつくれるようなお絵かきソフトを用意しました。

ここはローカルでつくって、博物館に投稿すると、ウェブのコンテンツとして公開される。そういう仕組みです。

それから、こういうサムネールでうまくイメージが出ていない、イメージがないものですね、メールだけ送ったものはこうなっちゃいます。十勝以外、先ほどこの会場の写真を送ったのですが、向こうのサーバーがうまくいっていないからでないようですが、圏外カード、例えば、大阪のみんぱくから送れば、一番最初のところに出て、圏外カードとしてここにアイコンが表示されます。十勝内から送れば、最新は、会員なら緑色で自分のGPSデータを添付すればこの中に定位置に配置されます。出てますか。さっき僕が始まるときに1枚写真を撮ったものです。ただですから、皆さん、後でアドレスを教えますから、ぜひ見てください。十勝にいるとおもしろいんだけれども。

ここで衛星写真も選べて、 30 万分の1から 7,000 分の1ぐらいまでの衛星写真の画像が見られます。

とかち交流センター、これは帯広のミュージアムです。ここにこういうアイコンが見えていて、ここに建物があるのですが、それを開くと、これは発信者、これは一般会員、こういうふうに、つい先だっては、農家さんが、これはビートの苗を植えた。6月 29 日 13:47 です。こちらは、別の野菜がこれだけ育ちましたよということがどんどん出ている。この人たちは近くの直売所に自分のつくったものを卸しているので、その直売所のお客さんもこれを見ながら、今朝とれたものは何かなとか見る。直売所も発信してしますので、今並んでいるものもその時点でどんどん見える。もっとすごいのは、この間見てきたんだけれども、直売所の商品がなくなると、商品のなくなった棚を携帯電話で直売所のおじさんが撮って、これにアップすると、農家さんは、自分の棚に二、三個しか残っていないのを見て、あわてて抜いて、軽トラックで持っていくという、そういうことも起きています。すごいですね。

さっきノーイメージになったけれども、例えば、ここの博物館のこれが小さなアルバムで、アルバムを開くと、これは帯広のミュージアムなので、とかち大平原交流センターと呼んでいる建物で、十勝に遊びにおいでよということを発信できる。この中にもう一つ、さっき見た芽室の年輪という博物館とか、ビンステ という中札内村の博物館のカードをここに張りつけることもできます。そういう特殊な機能を持っているアルバムです。それぞれ中身が見られる。

これは、最新発見。いろんな人がアルバムをどんどんサーバーにアップしてくれているので、最新発見の記事が見られる。もちろん過去のも見られます。

携帯電話は、左側がトップ画面で、十勝の地図と基本的な大事な行政系の施設ですね、ミュージアムに関連する施設と最新の投稿記事が見える。スクロールして、この中で会員登録できたりします。例えば、農家さんのこの写真を選択すると、中身は今は違いますけれども、インゲンの苗が植えられたような記事が携帯電話でも見られる。

後は、先ほどの使うことをデザインするというのが重要な課題になってきちゃっているということが我々にとって大きなテーマになっていて、大体どんなことをやっているかながめてみると、もともと始まったのは 2002 年、もう4年前ですけれども、十勝の未来農業集団という農家のおじさんの集まりと出会ったのです。それで何かを一緒にやろうと。彼らは今この博物館のシステムに非常に近い、サイファーズダイアリーという、これも検索すると出てきますが、農業知識を集積するという活動をサーバーを自分たちでつくってやってたんですね。その人たちとの出会いの中で、我々は大学の研究として、農作業体験博物館の基本構想、それから、近未来の産地直売所の構想を提案しました。これは農業情報学会などで発表していましたら、NPO食の安心協議会というところが興味を持ってくれて、六本木ヒルズでNPO発足会のときに我々の作品を展示してくれました。その秋に、北海道庁がこの我々の研究を見てくれて、それで説明に来いということで、ここで初めて農水省が「田園空間整備事業」をやっているのを知りました。十勝は、道路をつくった、水銀灯をつくった、ガードレールをつくった、建物を建てた、これでいいんでしょうかという話で、大枚国の予算は使い終わった。でも、それで田園空間でも何でもないですよねと。農業土木課が博物館をつくっているんですね。それだけじゃおもしろくないというので、それで、我々の構想を何とか入れようと。あとどれだけお金が残っているのですかと聞いたら、看板 500 カ所分の予算が残っているとか。「いやあ、それでは……」と頭をかいたんですが、それじゃ、その予算で、「看板」という名のもとに情報システムをつくったという恐ろしいことです。だから、農水省は看板をつくったと思っている。でも、6月4日に中川昭一農林水産大臣が来てくださって、この帯広の博物館のオープニングに出てくれました。もちろん大臣は看板のことは知らないと思うんですが、大変喜んでおらたので、大丈夫かなと。

それで、「看板」転じて情報システムが始まったのが 2003 年です。

それから、住民グループと「シンポジウム」をやったり、それから、多摩美の主催で「表現ワークショップ」を十勝の住民とやったり、それから「コミュニティ放送と地域メディア」の講演会を十勝の住民と一緒にやったり、リテールテック という ジャパンショップショーリクサイト の、これはNPOと一緒に十勝の話題で展示会をやりました。このシステムの構想を紹介したのです。それから、子育てネットとも芽室教育委員会の主催というか、札幌とで 。

それで、いよいよシステムができて、利活用の段階で、芽室の町立上美生中学校に先週、学生たちと行ってきました。これはその前の写真ですが、地元の人たちと、自分たちの思い出なり体験というものをどうやって表現するのか、表現しておもしろいのかということを確認しなければシステムをつくってもしようがないと思ったので、コンピュータもちょっと使っていますけれども、基本的には紙と写真で日々を表現するということはこんなにおもしろいんだと、特に小学生たちはすごくおもしろがりました。このときもサイファーズダイアリーを使って、携帯電話での体験も一緒にやりました。

そうやって、プロセスを見ると、我々は夢中になってやってきたんですが、全体の基本構想をやって、こっちは活動ですね、どんなサービスを描きたいのか、それで、システムの設計、システムの構想、活動の構想、システムの造形、活動の造形、システムの設計、活動の設計、製造、これは今まさに活動の製造に入っていっているという感じですね。こういう往復運動でこの十勝のシステムができてきたんですね。これは振り返ってわかってきたことですけれども。

今の一番新しい話は、システム利活用を設計するというか、そのインプラントしていくようなことをやっていて、そのためには、表現したくなる学びづくりというのを、先週、十勝で中学生と一緒にやってきて、8月には、学び手と教え手と一緒に、表現と表現の共有の場の利活用を自分でつくろう、アミューズを使ってどんな勉強ができるのかということを一緒に考えようということを始めたところです。

これが6月4日の学校とのディスカッションで、この間の6月 13 日の新聞に出たのですが、中学生と一緒に大きな地図をまずつくりました。西山校長先生が頭の柔らかい人で、アミューズを使って、この先生の記事というか、投稿しているカードもいっぱい出ていますが、 12 日に彼が言い出したのは、この中学校の特徴をうまく利用しようと。特徴というのは、日本じゅうから山村留学の中学生がここに来ているんですね。その中学生たちのリアルタイム参観日というのをつくって、九州から、大阪から、東京から保護者の方がリアルタイムで、このアミューズのシステムで、子どもたちが何を考えて何を表現しているのかというのを見てもらえるようなプログラムをつくっちゃおうということを、まさに利活用を創造し始めちゃっているのです。それが一つの例ですけれども、子どもたち自身が表現の場としてのプラットホームをどのようにつくるかというのを、これからの7月、8月のワークショップまで沿革的に考えようということを子供たちとも約束してきました。

メールでもやりとりが始まっていまして、先生と大学の間の対話も実はこのアミューズのサイトを使ってやり出したわけです。例えば、これも一つの発展途上なんですが、ワークショップが終わったら、ワークショップが終わりましたと、僕らは学生を連れて、近くの山に登って散策して、その散策しているときに、「今、散策していますよ」というのを携帯電話からどんどんこのサイトに送ると、終わった後、子どもたちと先生はこれを見ていて、あの タナベの 連中があそこに行って公園で遊んでいる、弁当を食っているというのを見ると、自分たちもまた写真を撮って、先生が撮ってくれるのですが、今、学校で、タナベの 人がいなくなったけれども、こんなことしているよとか、それから、飛行機に乗って帰りますといったら、校長先生が「どうもありがとうございました」と、こういう公共の場にどんどんカードを上げて、「共同プロジェクト楽しかったです。ありがとうございました」みたいなものが出てきちゃうというのが現状です。

後は、これも本当の裏話なんだけれども、ワークショップが終わった日に、先生方と我々大学の関係者、大学生も入れて、中学生はなしで、近くでビールを飲んだんですね。ビールを飲んで、飯を食べて、先生方にそのとき携帯を持っている人にどんどん会員登録してもらったんです。一杯飲みながら、お互いに試しで写真を撮ったんです。そしたら、夜いっぱいアップされたんです。朝、校長先生から電話がかかってきて、「須永さん、きのうのあの写真、削除してくれないか」と言うんです。「いいじゃないですか」と言ったら、「実は、きょうの 13 日の夕刊で、アミューズとかちを新聞に出しちゃう」と言うんです。最初にご父兄が見たときに、一番上に先生と大学生の飲み会が映っているのは非常にまずいと。たまたまそのときにミュージアムのセンターに行くチャンスがあったので、そこで何枚か削除してもらったのですが、そういうまさに学びというか、このシステムはどうやって使うんだろうという学びが使いながら起きているという、これはまさにこういうことなのかなと思っているんですね。これが関係者も、興味ある人もみんなサイトにアクセスして見るだろうと。 13 日の夕刊に出たのです。それもあわせてメンテしたりなんかしながら何とか切り抜けて、この8月 20 日ぐらいからまた向こうで1週間ほど子どもたちといろいろやってこようと思っている段階です。

僕の話は、市民芸術というか、そういう表現の場をつくりたい。先ほど言った、普通の人々が表現できるような社会が、どうもいろんな技術と社会のニーズから生まれてきているので、それに対してデザインを施したいなと。ただ、人々がやろうといういろんな試みが世の中で生まれているので、そこに対して、ちょうど 20 世紀のインダストリアル社会にデザインが貢献したように、それで世界にいろんないい商品が輸出できるようになったように、 21 世紀の産業そのものじゃなくて、社会に今度はフォーカスを当てて、社会の活動に対して美しい形あるいは使いやすい形を考えたい。その中学生の先生の朝の「消してくれ」という悩みの声なども聞きながら、これは公共システム、個人が参加する、まさにU ser G enerated C ontents 、W eb2.0 のような世界をどうやってつくっていけばいいのかなということを今、考え始めているところです。そういういろんなやってみなければわからないこと、机上で考えても決して答えは見つからない、非常に難しいだろうなと思うようなことは、こういうつくりながら、それから特に使う人たちと一緒につくっていくということの可能性を今、強く感じているところです。

ここまでということで、どうもありがとうございました。(拍手)




討論

●佐藤浩司  とってもおもしろそうなことをやっているということはわかるんですが、何がおもしろいかというのが、もうちょっと説明していただきたいところがあるんです。つまり、わからないのは、その前提なんですよね。今この社会で何が足りないからこれが求められているか、それに対して、このようなアプローチが何を解決しているかという、すごく大きな話ですよね。恐らく使われているツールとして、情報、もっといえばインターネットというものがあって、もしそういうツールを使わなくても、なにがしかのデザインを今の社会に提供することができるのか、あるいは社会がそれを求めているのか、それとも、こういうインターネットみたいなツールがあるからこそ、社会が何か新しいそういうデザインされるようなものが必要とされているのか、その辺のところはどういうふうに理解したらよいのでしょうか。

●須永剛司  うまい答えが言えないんですけれども、それは何かというと、原因と結果の形で語れないというか、そういうふうに僕は感じているんですね。足りないからこれを提供するというもの、そうも思っていないし。それから、新しいものが生まれちゃったから、それを使ったら何かよくなるのじゃないかという、うまく言えませんけれども、佐藤先生の質問に対して僕はきれいに答えられないなと思うんですが、ただ、僕はこういう問題、今の社会においての問題認識というのを一つ持っていて、それは、技術と社会の関係についてです。技術と社会の関係について、私たちというか、多くの社会構成メンバーが、自分たちの住みたい社会をちゃんとつくっていない、つくることに対して声を上げないし、社会を考える時間も暇もないということかもしれませんが、逆にいうと、今の社会を形づくっているのは、どちらかというと、技術が社会を形づくっちゃっているのじゃないかなと思うんですね。それは余り好ましくないと僕は思います。生活する人たちが、もう少し自分たちの住みたい社会をきちっと形づくるというようなことができないかなというのが一つあるんですね。

 その一つの具体的な例として、僕が時々例に挙げるんですが、携帯電話が普及して、一般の多くの人が使うようになる前となった後、一つの大きな変化がありました。それは、我々全員が体験していることなので、僕が言えばそうだと思ってくれるはずなんです。それは何かというと、約束です。友達と約束する仕方が変わっちゃったと僕は思っています。それは、まず、具体的には待ち合わせですね。友達とあした心斎橋で待ち合わせましょうというときに、固定電話しかなかったとき、携帯電話というものを持ってなかったときは、相当一生懸命待ち合わせ場所と時間を約束したはずなんです。「どこで会うの?」とか、「もしおくれちゃったらどうする?」とか。例えばだけれども、もしおくれちゃったら、公衆電話だからどうするかというと、極端にいうと、「実家のお母さんのところに電話してくれれば、僕がどこにいるかはお母さんに言っておくから」というようなことまでせざるを得ない状況で人々は約束を交わし、おくれないようにして、おくれたら謝り、そこに人間の約束というものが形づくられていたと思うんですよ。

 ところが、携帯電話が普及し始めて、約束がどうなったかというと、「あした難波で昼ごろ」とだけ書く。それで、昼ごろに難波の近くから携帯電話で第一声は「今どこ?」と、これでもう完ぺきに会えるわけです。その「今どこ?」というのはすごい言葉でして、そんなものは、かつては軍隊と警察だけが言えた会話で、庶民は「今どこ?」なんていうことは言えないんですね。そこにちょっとおかしなことがあるんです。「今どこ?」と言って、意外に近くにいるときどうするかというと、携帯を耳にあてたまま手を振って、どこで電話を切っていいかわからずに近づいていきながら会う。あれも約束が変容しちゃったことが一つある。

 言いたいことは、要するに、デザインされていないと言いたいのです、僕は。ちゃんと人々のためにデザインされていないじゃないかと、携帯電話はつくって、使えるようになったけれども、まだデザインはされていないのです。だから、約束が壊れちゃってもしようがない。電車の中でしゃべるのはだめだと言われても、韓国ではいいらしいんですけれども、日本じゃだめだと言われて、何だか理由もわからずに、こんなに長く続くと思わなかったけれども、もう 10 年近く「車内での携帯電話のご利用はご遠慮ください」と、ある路線は「ペースメーカーのお客様に対してどうのこうの」と、それを 10 年間も言い続けている。この社会は一体何なのだろう。その責任は、もちろんキャリアにもあるし、メーカーにもあるし、使っている我々にもあるんだけれども、問題は、こういう社会にだれがしたいと思っているんだろうなと。あの手の振るのも、僕はデザイナーとして非常に興味があるんですね。どうデザインしたらあの手の振る技術と人間の愚かな関係をもっとちゃんとできないのかなと。だれも考えていないですね。シャープも考えていないし、もちろんドコモさんは考えているかもしれませんが、きっと考えていないに違いない。

 それで、約束を変えちゃったというのも、ドコモさんは考えているのかもしれない。今これをしゃべっちゃったから、考えてくださるという人がいるかもしれないけれども、それが僕の問題の根底にあるんですよ。要するに、技術が社会を変容している、そのことをちゃんと受けとめようよと、僕たちは変容させられちゃったのじゃないですかと、だれがその約束の違いを変えたことに対して積極的に何かアクションをしているかな。何かそこに受け身に技術ドリブンでいろんなものが変わっているということに対して、もう少し何かやる必要があるかなと。これが答えだとは思わないんだけれども、そういうことに対して新しいもののつくり方というのは何かしていかなきゃいけないなということも一つのこの背景にあるんですね。

 後は、表現です。いろんな人が、これはネットがあるからわかるんですけれども、ネットがあるから、非常に明示的に実はいろんな人が表現というものをしていたし、表現したかったんだなと、その道具が見つかったんだなと、それから、その表現というのは、人に見てもらうということがベースになっているんだなと、そういうことが今、情報技術でどんどん見えてきたということですね。それを一つの気づきというか、モチーフにして、何かもう少し気のきいた答えというのが見つからないかなという、それは出てきちゃった現象に対して何かしたいという思いなんですけれども。ちょっと答えになっていないのですが。

●佐藤浩司  僕らが言うことではないんですけれども、出てくる単語が、例えば、「学校」とか「博物館」という技術に超えられてしまった分野で、本来やるべき人たちができなくなっているという認識が多分あるんですよね。本来、博物館や学校は、技術ができないでいる部分のところをフォローするべきだ、人と人のつなぎ方のデザインとかね、それができなくなっているということに対してどうしようかと思っているんだろうと思うんですよ。学校や博物館をつくったのはまさに国とか自治体ですけれども、それを超えてしまっているのが技術の力であって、それについて伝統的なシステムの側から何かやろうとしていて、そこにうまくコミットしているのかなという感じがちょっとあるんです。

●須永剛司  そこのところは、今、佐藤先生が言ってくださって、「そうかな」というふうに思うんですけれども、「これで何ぼ儲かるんだ」と言われると、この仕事はなかなか前に進められないですね。個人とか社会の人々の利益がどれほどになるかわからないし、お金を払うのかどうか。まずお金は払わないですね。要するに、利益というのがわからない状況で物をつくってみざるを得ないというか、あるいは、逆にいえば、ラッキーにもそういうところで物をつくらせてもらえたので、リターンがあるからつくるというのじゃなくて、リターンが保障されているからつくるというのじゃなくて、どんなリターンがあるかを探す。探索状況においてもこういうシステムをつくらせてもらえたし、それから、利得がわからないけれども、中学校の総合学習という先生方の試みの中で、我々に参加する余地というのか、それをいただいたという、そこはすごく大事な要因なのかもしれないと思います。

●佐藤浩司  小山さん、久保さん、岸野さん、コメントをお願いします。

●小山修三  僕は、具体的な、今こういう問題で実は吹田市博物館で悩んでおりまして、具体的な質問になるんですけれども、この看板1枚が幾らかかったのか、例えば、1枚 500 万円です。 10 枚だったら 5,000 万円だけれども、そのものに対して、このプロジェクトは、なんかさっき佐藤さんが言っていたような感じの具体的に何かの成果、例えば、意思疎通とか、十勝に来る人たちの数だとか、そういうものが求められているのですか。

●須永剛司  明示的にこれでどれぐらいのある意味の利益を得なければいけないということは、約束という意味で求められてはないですよ。

●小山修三  あなたじゃなくて、例えば、北海道がそのお金を出すとき、地域が振興して、新聞が騒いで、客観的な調達というのはそうですよね。そういうようなことに対する具体的なアカウントをするというのは彼らは持っているの。

●須永剛司  そうですね。開発する過程の中で地域振興、産業、観光、教育、それぞれのファクターでこのシステムが振興に対してプラスの要因に働く必要があるということは議論されました。それに関して、それぞれの部署の人が何らかのアカウントするミッションというか、それは持たれていると思います。ただ、具体的に今これ何人が投稿すれば、月に何百枚投稿されればいいということにはまだ落ちてないはずなんですね。ということは、そのことも探している、まさにさっきの中学生の先生の「飲み会の実験写真は削除してください」じゃないけれども、まだ模索中ですね。何がアカウントのファクターなのかわからない状況。

●小山修三  一番はっきりするのはブログだと思うんですけれども、吹田市博物館で使ってみたんです。それは1日何十ヒットあるとか、1カ月に何万ヒットだとか具体的に出てくる。だから、役人だったら責任は降りかからないでしょうけれども、何かその中学校のブログ数が増えたとか、そういうものを少し押しつけていかないと、何となく地域振興となったらシンコウニイコウカト いいましたとかというような、しかもローカルな新聞ですから、というような苦しみがあるんです。役人さんなんかは、そんなんをスッと逃げてしまって、多分企業でやっている人なんかは、こんな役にたたないのはもうやめろというように配置転換になるんじゃないですか。そういうちょっと    が なくなって理想論に終わっちゃうというようなところがあると思うんですね。

 それから、デジタルデバイドみたいなものを感じましたか、十勝で?

●須永剛司  これはまだシステムが動き出してからは、中学校がやっているところしか現場は見てないんですが、ワークショップのときに、いろんな住民の方が参加してくれたんです。多いときは 50 人~ 60 人参加してくれたときがあって、グループに分かれて、プロトタイプのシステムを実際に携帯電話を使ってやるということをやりました。そのときグループをつくって、小学生からおじいちゃん、おばあちゃんが参加するようなグループで、そのときに僕が驚いたのは、携帯電話をキャリアから 20 台ぐらい借りて、参加者に使ってもらったのですが、ほとんどのグループで携帯電話を使って投稿したのは小学生でした。小学生がまずこちらの説明を聞いて、何だかわかんないけど、やっちゃうんですね。大人たちは、壊しちゃいけないとか、いろんな思いがあってなかなか手が出ない。そういう意味でデジタルデバイドなのかもしれない。そういうものがありました。

 僕は、世代の違いというか、世代が持っているキャパシティの違いがあって、小学生たち、今の小学生たちというのは、もう 10 年後には大学生にならんとする。そういう人たちが、そういう技術の道具を受け入れる力を非常に持っているんだなと。それで、そのおばあちゃんたちの写真を撮ったり、おばあちゃんたちの言ったコメントをどんどん携帯のキーから入力していたので、共同的に使うという意味では、役割分担されていて、そういう形の組み立て方もあるかなと。もちろんおじいさん、おばあさんも見られる、使えるというのも大事だけれども、その地域の中で、このところは子どもたちがやれる、ここのデータを管理する、地域でマネージしていくのは、もうちょっと大人たちができるのかなという、デバイドだけじゃなくて、そういう意味の役割分担というのも見られたような気もします。両面ありました。

●小山修三  ありがとうございました。

●久保正敏  発信できるツールが広がっていったというときに、まず、これだけの容量のデータを      心配がある。やはりこういう話になってくると、結局リテラシーの問題があって、発信するほうはいいけれど、今度はそれを読みとる能力を先回りした            がちゃんと伴ってこないと、ある意味ではコミュニケーションになっていかないなという気はしますね。先ほどのデジタルデバイドじゃないけれども、リテラシーを持たない人、あるいはリードオンリーメモリいわゆる ROM になっていく人、このへんの網からもれていくのはどうなるのか、という話ですね。

●佐藤浩司  アボリジニ社会でネットワークが入ってどうなんだと聞きたかったんです。

●久保正敏  そこにもし行かれるとすれば、先ほど先生が言われた、技術ドリブンと混同されているのじゃないかという危惧を述べられましたけれども、すでにメディアについてはオーディエンスがパッシブなのかという議論がされているわけですが、例えばアボリジニ社会を見てみますとね、いろんな技術が入っていても、すべてそれは彼らにとってリソースだと、狩猟採集のマインドからいけば、そんなものは自分たちの生活なりにメリットがあるなと思ったらうまく取り入れる、じつにプラクティカルで、けっしてパッシブではないというのが私の感想なのです。       に我々はならされているのじゃないかという見方もあるし、我々はむしろそれを乗り越えてうまく活用しているんだという見方ももちろんあり得るのじゃないか。

 もう一つは、先ほどのリテラシーの話を続けるとしたら、芸術の話が出てきましたけれども、芸術とは何なのだろうかというのが根本的にあって、ある意味でファインアートとか、それから大衆芸術とか、これは結局ラベルというか、そういう体制というか、つくられてきたものですから、それもある意味ではリテラシーにも還元できる。読みこみのリテラシーなしに本当にいいなあという、そういう芸術というのがあるのだろうか、ないのだろうかという、そういう根元的な疑問を感じました。すみません、ただの感想は以上です。

●須永剛司  ありがとうございます。最後におっしゃった芸術のところですけれども、僕は、感じているというか、この市民芸術というテーマの中で芸術というものをとらえたとき、大事なのは表現することというか、だから、世の中でいう大作家の芸術作品を、みんながある教えられた読み方で理解して、「すばらしいものだ」というふうにその価値を評価するという、そういうようなことをはずしちゃって、いいか悪いかは、個人個人が自分の基準ではかればいいのじゃないか。むしろ大事なのは、自分の表現をしてみるという、それが最も芸術的態度だと思うんです。人の作品を見ているだけじゃなくて、自分が何か先ほどの表現をして、それをリフレクティブに何を表現したのかな、人にどうやって見てもらえたのかなということを考えられるような基本的力というのか、そういうものを持てるのがこの市民芸術でいう芸術だと思っているんですね。

 だから、中学生とやり始めたのも、うまい絵をかくかき方なんか教えるつもりはなくて、それもありそうで実はないので、中学生たちが、自分たちの生活圏の中にある魅力的なものを見つけているのかどうか、気づいているのかどうか、それを表現、絵をかいたり、写真を撮るという行為を通して、私たちの校舎の中にこんなにおもしろいものがあるんだ、それを何かの形であらわしたら、ほかの人たちが見て、それについてコメントをくれた、あるいは、その人も気づいてくれたという、そういう表現と気づきの循環というのか、そういうものが起きれば、それはすごく芸術的な、広い意味でのね、芸術的態度だなと思うんですね。それは受け身じゃないという意味で、何か生活に対して積極的に自分がかかわっていくという、そういう基本的力とつながっていると思うんですね。そういう意味で、僕は、中学生はそうなんですけれども、いろんな人々が表現というものに興味を持ってやり始めるということにおける社会的な大きな価値というのはあるのじゃないかと思うんですね。

 表現している人たち、これも想像でしかないけれども、表現している人たちは、その表現がある意味社会化されるときに、責任を感じるんですね、人に見られたときに。それが僕はすごくいい社会人をつくるのじゃないかなという感じもするんですね。ただ受け取っているだけの人というのは、いろんなことを言っちゃうわけですよ。何でも言える。自分は何も表現していないから、何も言われない。社会の人たちというのは、そうつくられちゃっている。でも、一方、表現する人たちというのは、何でもいいから表現して、人に見せた人たちというのは、ある種の社会的責任をそこで小さく感じることができる。そういうところに何か美術・芸術大学の芸術何とか会の芸術じゃなくて、社会の中の芸術活動として、表現者としての社会的責任というのか、その社会の中の何かを見つけて、自分がほかの人に見せちゃったという、そういう責任みたいなものがうまく生まれるかなという、これは幻想かもしれないけれども、何かそういう可能性を持っての芸術というものを何か考えたいなと思っているんですね。

●久保正敏   熊エリちゃん(*タレント熊田曜子の双子の妹を名乗り、連続放火事件をおこして火事の様子をブログに掲載していた)の場合も、ある意味では燃えているという状況をどんどん積み上げていくことで表現をしていった。多分それで自分はこれをどんどん発信しなくちゃいけないという、そのスキームという       あるのかなと思ったりしました。

●岸野貴光  ウィキペディアから来ました、「から来ました」というのも変ですけれども、岸野です。

 デジタルデバイドの話をしようと思っていたら、先を越されてしまったので、1点だけ、ユーザーがコンテンツをどんどん投稿していくわけですよね、これは。初めに想定していたものと実際に投稿されているものとでジャンルの偏りというんですか、そういうのってあるのでしょうか。ウィキペディアの場合は、全国の駅が一つ残らず項目が立っていたりとか、ガンダムについてやたら詳しかったりとか、そのくせ、私は西洋史なんですけれども、西洋史関係の項目がスカスカだったり、そういうこともあるんですけれども。

●須永剛司  そうですね。このとかちのミュージアム、我々は「アミューズ」と呼んでいるんですけれども、アミューズは、まだどんなコンテンツがここに集積されているか、全部きちっと見れてないので何とも言えないですね。正しくはまだ言えない。ただ、僕が驚いたのは、想像してなかったこととして、先ほどちょっと言いましたが、3日間のワークショップを終えて、帰り道、飛行場でネットにつながる場所があったので、見たら、我々に対する校長先生のお礼のカードがここに上がっていた。これは公私混同というのじゃないけれども、公共的なものを通して、人々が個人的なメール、個人的なメッセージをやりとりしている。そして、それは人に見られてもいいという。駅で、「さようなら」「ありがとう」と言っているような状況です。当然起こり得る状況だと思うんですが、そういうものはちょっと想像してなかったですね。そういうメディアに、これはなるかどうかわからないけど、なる可能性を持っているということは想像できなかったところですね。

●野島久雄   今、コンテンツの数として、数で数えるのがいいかどうかわからないんですけれども、数としてはどのぐらいの数字ですか?ウィキペディアはこの前 20 万とか、超えたとかおっしゃってましたよね。

●須永剛司  いや、いや、これは6月4日にオープンしてから、まだ 1,000 いってないと思いますよ。

●野島久雄  ある程度数が来ないとだめだという、そういうのはありますか。それとはあまり関係ないですか。

●須永剛司  そうですね。先ほどちょっと言ったこの集積されたコンテンツからある種の、僕が言っている「表現の知」というか、その時代の何かおもしろいものを抽出するということをやりたい。それができるのは、やっぱり数が集まらないとできないと思っています。

 もう一つ、僕が期待している、これも夢ですけれども、この十勝の博物館の仕組みが、例えば、 10 年、 20 年続いたときに、この間会った中学生、例えば、 12 歳から 13 歳の中学生たちが大学に行ったり、働いたりして、 20 歳代の前半になったとき、このミュージアムがしっかり動いていて、自分たちが 2006 年の夏にこんなワークショップを何だか美大の人たちが来てやった、あれ何だったっけな、見ようと思ったときに、この時間を物語りカードを検索すると、そのときのものがぼろぼろ出てきて、振り返れる。その先はどうなるかわからないけど、この地域のある種の皆さんの思い出、ここでいう思い出あるいは僕の言う表現が蓄積されていったときに、人々がそれをどんなことに使うのかなというのは非常に興味深いですね。

●國頭吾郎  ドコモの國頭です。この中で多分唯一キャリアの立場だと思うんですけれども、個人的には、余りキャリアであるということはいつも意識しないで言っているんですけれども、最初にお話があった、ケータイで約束の仕方が変わったねという話は、僕もそう思っていて、多いにそれを活用して、いいかげんな約束に盛んに活用しているんですけれども、実は、電車の中の使い方の問題という話と、社会に受容されるかどうかという話と使い方というのは、また違う次元の話なんじゃないかと一つ思っていて、確かにハコモノ行政で、ハコはつくったけれども使われないと。それはシステムと使い方をちゃんとペアにしていないから、ハコはつくったけれども使われない公民館が日本じゅうにいっぱいあるでしょうと、そのお話は僕も理解できて、だから、使い方と、ハコと技術はペアで普及させなければいけないよねというのは僕もそうだと思いますけれども、その電車の中の話というのは、社会が受け入れるかどうかという別の話が入っているのではないでしょうか。何かそういう感じがしました。

 僕が思うのは、技術を提供する側が使い方の例を見せることは多いに結構だと思うんですけれども、使い方を規定するのはよくないんじゃないかなというふうに思っていて、例えば、カメラ屋さんが写真機を提供するとき、「これは人を映します」などと定義するというのはおかしな話ですよね。ケータイだって、当然人とか景色を撮るんだと思っていたら、使い方として、駅の時刻表であるとか、バスの時刻表を撮るとかいう人がすごく多くて、メモとして使っている人が結構いますよね。名刺を撮っている人もいます。そういうのは当初想定していた使い方じゃないと思いますし、NTTの 0990 、あるいはビデオだって全部それなりの使い方を想定していたら、アダルトに使われたと。でも、それが逆に普及の足がかりになったりしてますよね。だから、そういう意味で、インターフェースを提供するとき、使い方の例を見せるのはいいんですけれども、「これはこういう使い方でしなさい」と規定するというのは、ちょっとおこがましいかなという感じを僕は思っているんですけれども、いかがでしょうか。

●須永剛司  そうですね。僕の言いたいのは、つくる側が使い方を想定して、つくる側から使う側に「こういう使い方がありますよ」という意味で使い方のデザインと言っているのじゃないつもりなんです。それじゃ、何かというと、使う人が、そういう今のケータイのいろんな使われ方、時刻表を写しちゃうような使われ方が起きてくるということを、つくる側の問題として、つくる側がとらえ直しているかなという、何かそういう感じなんですよ。使い方を示すというのじゃなくて、どういうのかな、電話機は、あったから、半分以上みんなは何をするものか知っていた。昔のアメリカの映画を見ると、長いコードを持って、電話機を抱えて庭で話していて、格好いいなと思ったんだけれども、あれがコードなしで持っていけて、小さくなっちゃったということなので、もう8割方が使い方がわかっていた中で、それで、コードがないから時刻表の前まで行けて、今度はカメラがついたから撮れちゃって、メールで自分の家に送れるとか、そういうことに広がっていった。

 だから、何とも言えないんだけれども、使い方をデザインするというのは、使い方を例示するというよりは、こういう言い方があって、可能性空間をデザインするというのか、可能性空間をつくっているんだという認識がつくる側にないと、電話機をつくっているんだというと、機械は電話機という機能を持っているんだけれども、使うほうは、電話機を買ったわけじゃなくて、電話のできる働きを買ったわけですよね。電話できる働きを売ったわけだから、電話のできる働きに関してどんな可能性があるのかというのを責任持っておくというのか、例をたくさんつくるというよりも、そこまで考えて物をつくるというのか、ちょっとうまく言えないな。

 うまく整理できてないんだけれども、つくる側がつくることと同じように、使う側がさまざまに使っていることを、つくり手の問題としてこっち側にうまく取り入れるような仕組みが必要になんじゃないかなという、そんな感じがするんですね。だから、例えば、携帯電話にカメラがついたら、時刻表を撮っている。それはユーザーが編み出したことかもしれないけれども、時刻表を撮っているということが、一体この道具においてどんな可能性を人々に提供したのかということを、これをつくっている側がきちっととらえることによって、この道具のさらなる発展を、技術もデザインもそうだけれども、それを考え得る力になるのじゃないかなという。それは僕の偏見かもしれないけれども、つくる側は、そこの使うという問題をつくることと同等には重視してないんじゃないか。動くものをつくって売るということが当然大事なので、それの使われるということに対して、どちらかというと二義的扱いになっているのじゃないか。それをもうちょっと第一義的なつくることと同等の問題に上げられないかなと、上げると、もっといい物のつくられ方がするのじゃないか。特に、何に使っていいかわからない、こういうものも一体だれが何に使うのかわからない。例えば、これをサイトで新聞に出しても、1回見て終わりですね。「あれっ!何か地図のカーナビみたいなものをつくったのか。見た、見た、見た。知っている、知っている。カーナビみたいなあれね」で終わっちゃうので、僕はこれを人に使ってもらうためには、ただ動くシステムをデザイナーと技術者が一生懸命つくってみても、結局使われないんじゃないかなという、そういう思いで使う側の可能性をさまざまに探索する、探索するんだけれども、使う人を仲間に入れるというか、使う人もメンバーにしながら物をつくっていくような形で、使う Usage ということをメーキングの中にどんどん入れていくような仕組みというものが欲しいなという、そんな感じなんですけれどもね。

●國頭吾郎  いかにして使ってもらうかという話もまたありますよね。一つ、須永先生がおっしゃったのは、使っている側のフィードバックをつくる側は持とうよということだと思うので、僕も実際に開発側ではないので正直わからないところがあるのですけれども、使われるデータが相当ないと、ケータイに物を載せることができないんですよね。今からこういうものをケータイに入れたいんだけれどもという話をすると、2年以上先のものにしか入れることができないというのが現状で、はっきりいって、入れるスペースはかなり限られていますので、今度新しい機能を入れたいんだけれどもといったら、2年先、3年先まで無理というふうに言われるのが現状です。なので、その段階で、どれだけ、どのぐらいの人がどういう使い方をするのかというのを相当やらないと、こういうのを入れたいと言っても研究の部門とか開発の人に聞いてもらえないというのが現状なんですね。ただし、その入れたいという機能が本当に使われるかどうかは別の問題で、テレビ電話とか前々からさんざん言っていますけれども、僕はあれは使わないだろうと思っていて、全然使われていないですよね。でも、あれは相当使われるはずとして、トップからどうして使ってもらうかということで入れている例はあるんですね。

 もう一つ、使うかどうかというのは、使う側のインセンティブをどういうふうにつけるかというところだと思っていて、熊エリさんではないですけれども、情報を発信することのメリットというものを受けられる人は、どんどん発信していくのじゃないかなという感じがするので、何かおいしい餌をちらつかせるというのが、いろんな意味で大事だなという感じがしていますので、ここではどういう餌をちらつかせているのでしょうかというのが、僕はかなり興味があります。

●須永剛司  僕は、さっきの校長先生が、さっき話したように、この中学校は内地留学の子どもが何人もいるという一つの条件もあるのかもしれないけれども、ネットで授業参観するというようなことを校長先生が発案してくれて、これを見て、自分もケータイの会員になって、写真を送ってみて、「これはいける、いける」という。だから、つくった側がおいしいものを見せてお客さんを呼ぶよりも、ともかく使ってもらう場を提供して、その中でお客さんと一緒に、今のお客さんのような発言を聞きながら、じゃ、どうしたらそのネット参観日というのをうまくデザインできるのかなと。それは、もうシステマデザインじゃなくて、「ネット参観日」というイベントそのもののシステムとアクティビティを両方混ぜ合わせたイベントそのもののデザインというものがすごく大事かなと今、思っているんですね。東京とか大阪に住んでいるご両親にどうやって知らせるのかとか、どうやって彼らが見るのかとか、それじゃ、これは圏外になるけれども、お母さんたちの投稿というか、その子どもたちのメッセージに対してお母さんたちが何か発言できるような、発言したくなるような仕掛けもデザインするという、広い意味のデザインなんだけれども、システムだけじゃなくて、そういうアクティビティのデザインというのは、そういう感じとしてとらえているんですね。

 だから、僕は、餌をまくというよりも、ユーザーが自分で考え出すのじゃないかな、一番リッチなのは。ユーザーが自分で「あれをやりたい、やってみたい!」ということをいかにプロバイダーが知るかとか、そこに一緒に協力できるかという、そういうようなところにすごく大きな可能性を見るんです。プロバイダーが考えたものを見てもらってというと、CMと同じですよね。「これどうですか。コカコーラを飲みたくなるのじゃないの」という、そういうのよりも、自分で体験して、気づいてみて、つくっていくという、そういうことをやりたいですね。やりたいというか、それをやることが情報システムにおいては非常に有効なんじゃないか。

●野島久雄  大分時間がたちましたけれども、何かありますか。

●長浜宏和   時間がないようなので、手短にします。大和ハウスです。私は、これ市民芸術メディアということなんですけれども、むしろタウンマネジメントのシステムとして発展していく可能性をすごく感じました。当社も全国各地にニュータウンを、○○ネオポリスという名前の何百戸、千何百戸みたいな単位のニュータウンをたくさん持っているのですけれども、そこがだんだん高齢化していて、地方の郊外エリアのニュータウンが過疎化するというところに非常に問題点を感じていまして、そこの住民の生活情報、趣味・嗜好を含めた、そういう生活価値をいかに高めていくかというところに関心があるのです。もしかしたら、こういうメディアも一つの活性化の起爆剤としてあり得るのかなという感想を持ちました。特に校長先生がそこで返事をしたというところに可能性を感じました。

 技術的に追いついてない部分があるかと思うんですけれども、これがネットを通してしか見られない、パソコンがないと見られないというところが残念だ。これが観光資源として使われるのであれば、例えば、電子ペーパーみたいなものがあって、自由に配られていて、観光客がこれを見ながらうろうろできるとかとなると、すごくおもしろいなというふうに感じました。感想だけですけれども。

●須永剛司  ありがとうございます。僕たちも大学の研究のプロジェクトとしては、まさにおっしゃっていた話に近いんだけれども、集合住宅のコミュニティ形成支援にこのシステムを使う研究というのを一つやっていて、もう一つは、集合住宅だけじゃなくて、地域の自治会とか、ある小学校区の全体の地域でこういうことを一緒にやろうかという、それは小学校の何ていう集まりなのかな、お母さんたちと先生たちと子どもたちでつくっている登校ルートマップとか、今いろんなことが始まっていますよね、防犯とか。そういう活動の中で、このスペシャルな地図情報というものをベースにコミュニティのコンテンツを、広い意味の表現コンテンツを集積しながら、みんなが自分たちの地域を見つめていくとか。

 集合住宅の場合には、我々が今やっているのは、大規模集合住宅の居住が始まったときですね、居住が始まったときのコミュニティ形成というのは非常に難しいらしいんです。ばらばら土地に人が住んでいくのじゃなくて、あるときドーンと何百世帯とかいうオーダーで人々が住み始める、そのときに何らかこういう人々の生活が相互にかいま見れるような窓というのをITの技術が提供するのじゃないかなという、そういうことも始めていまして、その辺の広がりはもう一つやってみたいと考えているところです。

●長浜宏和  このサイトは、十勝市の市営なんですか。

●須永剛司  これは3市町村、帯広市、芽室町、中札内村の3市町村が、この4月に北海道から譲り受けて今、運営している。行政の持ち物なんですね。ただ、指定管理者制度というのを利用して、民間がこのミュージアムの箱とシステムを運用するという協議会をつくって、今その仕組みをスタートさせようとしているところですね。

●長浜宏和  このシステム自体が意外と売れるのじゃないかと思いますね。

●須永剛司  それはぜひ皆さん宣伝してください。

●野島久雄  時間もそろそろ来ていますので、後は懇親会のときにお願いするということで、どうもありがとうございました。

  10 分程度、 20 分までお休みにして、次にウィキペディアのほうから来た岸野さんに話をお願いします。




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●野島久雄  2番目のセッションに入ります。2番目は、ウィキペディアの管理グループの一員の岸野さんです。この会にお呼びした経緯というのは、今回、今の須永先生の市民芸術というような、一般の人たちがかかわって、それで何かつくり上げる、そういう例を考えたときに、ウィキペディアというのは非常に興味深い例なんじゃないだろうか。そしてまた、最近、ウィキペディアというのは、日本でもうまく立ち上がるかどうかとかと思っていたんですけれども、どうやら動いて、非常に評価されつつあるようなので、ウィキペディアの担当の方で、どなたかいないかなと思ってメールを差し上げたら、岸野さんが返事をくださって、たまたまこちらの近くにおられるということでしたので、ここに参加していただくことになりました。

 若干の自己紹介を含めて、お話を始めていただきますか。

●岸野貴光  ウィキペディアの管理者をしております岸野と申します。無職です。することがないからウィキペディアをやっているというのもあるということはあるんですけれども、管理者とはいっても、全体を統括しているわけではなくて、ただの学級委員的なものだと思っていただければいいです。

 じゃ、始めさせていただきます。ウィキペディアがどんなものかさらっと触れておいて、それから、ウィキペディアの中でどんなことが起こっているのか、画面を見ながら説明していきます。そして、今どんな課題があるかということを説明して、最後に、私がなぜかかわっているかをとうとうと語っていきます。


 1.Wikipediaの概要

 はじめに:ウィキペディアとは/ウィキペディアンとは

 まず、初めに、「ウィキペディアとは」ということです。これがトップページですけれども、上に「編集」というタブがあるのが見えますでしょうか。そこをクリックすると、もう編集できちゃうわけです。どなたでもできるのです。メインページはプロテクトがかかっていますけれども、例えば、「編集」という青い文字が右サイドに出ていると思いますけれども、ここをクリックすると、節で編集できたりするわけです。赤い文字が幾つか点々としてますけれども、ここをクリックすると、こんなふうに編集中といって、投稿できるわけです。これはアカウントをとっていようがいまいが、どなたでもできます。

 「ウィキペディアン」ですけれども、つまり投稿を初めとしてウィキペディア活動をしている人です。例えば、私であるとか、そこのお三方であるとか、そういう人間です。どこにでもいると思っていただければいいです。


 1-1.ウィキペディアの歴史

 ウィキペディアの歴史についてですが、 2000 年に、ヌーペディアといいまして、アメリカでPHDの博士号を持った人たちが集まって、インターネット上でフリーの百科事典をつくろうというプロジェクトがあったわけです。それは、項目を書いたら、ピアレビューをして、それでオーケーが出てインターネット上に掲載する。それを転載するのは自由ですよという、そういう百科事典だったのですけれども、なかなか参加者が増えない、項目数が増えないということで、それじゃ、どうしようかとなったときに、 Jimmy Wales という人が、だれでも編集できるようにしようじゃないかと、ウィキというシステムですね。だれでも編集できる、だれでも参加できる、そういうふうにして百科事典をつくるプロジェクトにしたらどうだろうかということで始まったのが、ウィキペディアです。

 最初は細々とやっていたのですけれども、例えば、スラッシュドットであったり、ホットワイヤードであったり、そういうインターネット上のメディアですか、報道するところ、そういうところに取り上げられて、ドーンと増えていって、今は英語版の項目数は 130 万件を超えていて、日本語版が 23 万強です。

 日本語版は、最初は縦書き、ローマ字というのがあって、漢字を表示できなかったのですけれども、今は表示できるようになって、かなり活発に編集されています。


 1-2.ウィキペディア財団

 今は「ウィキペディア財団」がウィキペディアを運営していて、ウィキペディアはそのうちの一つでしかないんですね。あとたくさんプロジェクトがあるんですけれども、それの■■サンカクガイ■■は結構濃淡がありまして、閑古鳥が泣いているところもあります。日本語版でいえば、ウィキペディア以外はかなりしょぼいですね。


 1-3.著作権管理

 著作権管理の仕方ですけれども、これはフリーであるといっても、著作権を放棄しているわけではないんです。GFDLという管理の仕方をしていまして、これの要点は、商用利用してもいいですよと。これを本に印刷して売ってもいいわけです。ただし、その場合、その本を買った人がどこかのコンビニでコピーして、それを売ってもまたいいよという、これを認めましょうということです。どこか途中で独占することはなしなんですね。

 それから、転載元の表示及び改変履歴を要求というのは、改悪によって、もともとつくった人の名誉がそこなわれるのを避けようということで、だれが、いつ、どのように改変した、編集したということを明記してくださいということです。そういう条件のもとで転載してもいいし、売ってもいいしという著作権管理の仕方をしています。これで例えばNASAから画像をもらったりとか、日本でいえば国土地理院から画像をもらったりとかしています。


 1-4.右肩上がりの拡大

 これがウィキペディアの日本語版の利用者の数ですが、 3,000 人に届かないぐらいなんですけれども、その中でもコアなウィキペディアンで、毎日せっせとやっているのは下の緑の濃いところだけで、約 300 人ぐらいだったかな、それぐらいが私のようなディープなウィキペディアンということになっています。

 棒グラフは項目数です。ずっと右肩上がりをして 23 万項目を超えています。これは、インターネット上の視聴率みたいなものとお考えいただければいいのです。

 これはビデオリサーチ社の調べで、正確かどうかは何とも言えないんですが、全ネット利用者のうち 24 %ぐらいがウィキペディアを参照、ウィキペディアに来ている。その推定訪問者数が今 661 万人という、日本最大のサイトの一つにまで成長してしまっています。


 2.縦糸と横糸-ガヴァメントなきガヴァナンス

 ここからが本題です。ウィキペディアを一つの株式会社と考えて、組織を想定してみました。基本的にこの仮想ウィキペディア株式会社は、全員が平社員でして、ここの社則にあるように、何をしても自由だということになっています。私がいるのは主に投稿部というところです。私が出入りしているのはそこです。実際には全体に満遍なく行っていて、全体を把握できている人というのは多分いないです。みんなそれぞれ自分の持ち場みたいなものがあって、そこで意見を交換したり、投稿したりとかしているわけです。


 2-1.DIVISION OF CONTRIBUTORS

 まず最初は投稿部ですけれども、ここが一番人目を引く場所なんですね。加筆やもともとある項目を膨らませたりとかするよりも、新規に投稿するほうが他のユーザーから目立つのです。このコミュニティの中での話ですけれども、いわゆる「花形部署」というやつです。趣味が高じて、それで投稿している人とか、私なんかは、卒論でやったものを投稿して、最初の投稿は卒論のまま、コピーベーストとは言わないですけれども、そのまま持ってきて投稿したことから始まったのです。それから、大事なのは、ウィキペディアの中で画像がよく見られると思いますけれども、その画像を撮影してきて、アップロードしたり、外部の団体から使用許可をもらって使わせてもらったりとか、そういういわゆる部署です。

 この中で質の高いものは、後で述べますけれども、新規投稿として顕彰されたりして、それがインセンティブになっているわけです。


 2-2.DIVISION OF QUALIFICATIONS

 ここがウィキペディアの項目の品質を維持し、高めようというウィキペディア内での取り組みです。例えば、秀逸な記事が今 70 数個ありまして、それを選考したり、私がよく使うのは「査読課」というところで、自分が書いたものの意見を求めて、それをもとに修正したりします。実際に画面をお見せしますと、新しく投稿されたものは、他の人の目にとまると、投票制になって、票がうわっと集まるわけです。票がたくさん集まって新しい項目に選ばれると、トップページの「新着記事より」に入ります。自分の書いたものがトップページに出ると、やっぱり投稿した人たちはうれしいわけです。それでまたやる気になる。自分もこれぐらいのものを書くぞという、そういうエネルギーになっているという、そういうところがあります。

 これは、「月間新記事賞」のページです。毎月投稿されたものの中で一番すぐれた記事を選びましょうという企画が毎月行われていて、その新着記事に選ばれると、これにノミネートされるわけです。そして、またここで投票されて選ばれると、「選ばれました。おめでとうございます」と。別に何ももらえないんですけれども、それで終わっちゃうんですけれども、その賞を取れるとうれしいわけです。私もかなりうれしかった記憶があります。

 これは、私が使っている「査読課」です。査読依頼というものを一番上に張りつけておきますと、「この項目に対して、皆さんコメントをお待ちしていますという」ことです。ここの「査読依頼」のところが青くなっていると思いますけれども、ここをクリックすると本文に飛びまして、ここで皆さんのコメントがいただけるわけです。「 S Kitahashi 」というのが私です。「こういうふうにしたほうがいいのじゃないの」というコメントをいただいて、それを反映して、さらに、私の場合は、すぐ専門的な話にいっちゃって、一般読者にわかりにくいものを書いてしまいがちなので、それを指摘してもらうというのが多いです。

 それぞれ記事ごとに「ノート」というのがありまして、そこで議論するわけです。この議論の中には、しようもないやりとりがあったりもするわけです。この画面の下のほうでは、「低学歴の中年男性みたいにヒステリックな反応……」とかいうような、へなへなとするような書き込みもあったりするわけですが、この「高級住宅街」の場合は、真ん中に出てくるハンドルネーム「葉月さん」という方が出てきて、これが不動産業界に勤めている人だということで、その人がいろいろ知恵を出してくださって、話がまとまりつつある議論の一つの例ですね、これが。


 2-3.THE COURT OF WIKIPEDIA

 次が「ウィキペディア裁判所」と命名しました。例えば、著作権の侵害だとか、プライバシーの侵害だとか、それから、百科事典にふさわしくない項目が立ったら、それはもう削除しちゃえと、削除したほうがいいということになったら、その削除が正当かどうかを話し合って、その上で削除するなら削除する。

 それから、悪質なユーザーがいた場合は、その悪質なユーザーに投稿できなくさせる、これをブロックといいますけれども、これは「刑事小法廷」と書いてあります。

 それから、記事のほうですが、最近でいえば、ワールドカップでジダン選手が頭突きをかましましたけれども、その関係で匿名の利用者がうわっと投稿しまくって、ジネディーヌ・ジダンだとか、そのあたりの記事は、かなりそれで保護されています、今のところ。

 これが実際の削除の審議の様子です。まず、だれかが削除を提案して、それでコメントナなり何なりをして、この場合は、転載元の人が自分で投稿したわけですね。それが確認できたので、削除せずそのままいきますという、それで「完了しました」と。その完了しましたと宣言するのが、いわゆる管理者です。「依頼取り下げにより終了します」、これをやるのが管理者なんですけれども、その管理者も、ほかのユーザーの同意がなければ、いろんな権限を持っていますけれども、それを発動できないんですね。例えば、管理者だったら記事を削除とかできますけれども、みんながそれを存続、存続といっているのに、削除はできません。それをすると、後で集中攻撃を受けたり、解任動議を出されたりとかいうことになります。

 これは、悪質な利用者がブロックされた例です。いつものPeace系とかいうのは、パッと見はわからないと思いますけれども、これは政治的主張を繰り返している人が、いろんなアカウント、ユーザー名をとって、それで投稿するというのを繰り返していまして、この「ワンポイントアドバイス」というのも恐らくそうであろうということで、審議した結果、全会一致で無期限ブロックしました。このユーザーのブロックも管理者ができます。


 2-4.DIVISION OF GENERAL AFFAIRS

 これは、ほかのいろんなものを集めた課ですけれども、この中では、「方針策定課」が結構重要でしょうか。ウィキペディア内でのいわゆる法律の役割を果たす方針ですね、これを決める人たちもいるわけです。英語版から持ってきたものを和訳して、これは項目そのものの画面ですけれども、これにもノートがあって、いろいろ議論が交わされています。


 2-5.DIVISION OF PERSONNEL

 これがウィキペディアンについてのことです。例えば、その月で月間MVPみたいなものでしょうか、月間感謝賞というので、このように皆さんの投票が集まり、この中から一番多くの票をもらえた人が、「○○さんは何月の月間感謝賞に選ばれました。おめでとうございます」と、それだけなんですけれども、「 10 ウィキ」とかいうのは、ウィキペディア内で使える通貨で、一つのごっこですね。こういういろんな仕掛けによって、ウィキペディアンのやる気を出させて、よりよい記事を投稿させようと、そういう方向に何とか持っていこうとしているわけです。

 それで、選ばれると、「最近のウィキペディアン」のところにありますけれども、「6月の新記事賞は○○が選ばれました」、「6月の月間感謝賞は△△さんが受賞されました」みたいに大々的に扱われるわけです。ここに自分の名前や自分の書いたものが載っていると、結構うれしい。私もかなりうれしかったですね。

 次は「管理者」ですけれども、管理者になるには、まず立候補するなり、推薦なりを受けて、審議を経て、投票という手続をとります。私の場合は、推薦を受けて審議されるのですけれども、ここで投票者の私に対する質問に答えるわけです。この答えるのはかなりしんどくて、途中でやめようかなと思ったこともあります。

 それで、投稿すると、このように票が集まって、今これを表示すると自慢っぽくなっちゃいますけれども、大抵の場合、賛成いっぱい、反対ゼロとなります。問題ある人は落とされますけれども……。


 2-6.TERRORISTS

 最後に荒らしです。インターネット上のもので、だれでも編集できるというものである以上、こういう荒らしはつきものです。今であれば、北朝鮮関係の項目とか、そういうものはかなり荒れがちですね。

 それから、中学校・小学校からの書き込みが結構今、問題になっています。IPアドレスを見ると、○○市教育何とかネットワークみたいな、そこまで出てきますので、それで、その自治体に「こういういたずらがありました。何とかしてください」と。その対応の仕方は自治体によってかなり差があるわけです。

 それから、先ほど見ましたように、ノートのページで交渉拒否する人だとか、あと誹謗中傷したりする人、さっき「低学歴が云々」とかありましたけれども、そういう人がいるにはいるわけで、そういう人は、先ほどのブロック依頼で、数週間ブロックとか、無期限とか、そういうこともあるわけです。


 3.現状と課題

 これはウィキペディアが今、抱えている問題ですが、荒らしがちょっと増えてきているなというのはありますね。5月だったかな、毎日小学生新聞にウィキペディアが取り上げられまして、それでなのかもしれないですけれども、極めて幼稚な書き込みが多いです。

 それから、学識経験者不足ですね。だれでも書き込める。つまり、自分が書いたものをだれかが編集しちゃってもいいわけです。そういうシステムには研究の第一線にいる方というのは、なかなか参加しづらいものがあるのかなとか思ったりもしますけれども、専攻を持っている人が少ないですね。私の場合は、歴史学のイギリス史なんですけれども、イギリス史といっても、何世紀、何世紀の経済史、社会史、宗教史、ジェンダー史とか、いろいろある中で、一人で全部やるわけにはいかないのですけれども、実際イギリス史をやっているウィキペディリアンは私一人という状況です。

 それから、その学識経験者不足というのは、論文の書き方をわかっていない人が結構多いというのがありますね。何でも箇条書きで書いたりとか、「また」とか、「ちなみに」とか、文章を後付け、後付でくっつけていって、全体としての体をなしてなかったりとか、あと、自分の主観丸出しで書いたりとか、言い出したら切りがないので、これぐらいにします。

 私が一番言いたいのは、3つ目の「男性社会」です。ネットコミュニティというのは、やっぱり男性社会なのかなと。何ていうのかな、女性が関心を持ちそうな項目、「女性が」と一くくりにしてしまうのはちょっとどうかと思いますけれども、そういう項目がまだ極めて薄いです。それに、例えば、ネットコミュニティの中で、「自分は男だ」といって何かすることは割と自由にできるのですけれども、「自分が女性である」と宣言して行動するのは、なかなかはばかられるものがまだあるのかなと。実際にその利用者のデータを見る限りでは、男に偏っているということはないんですけれども、例えば、記事の書き方の視点が男性的であるとか、そういうのはどうなんだろうという気がします。

 最後の「スタブ」ですけれども、英語版で 133 万項目ぐらいで、日本語版が 23 万項目あります。この数自体はブリタニカの 16 万項目を超えているわけですけれども、そのほとんどがいわゆるスタブなんです。横軸は右にいくほど字数が大きい。下の数字が文字数です。縦軸が分布です。例えば、 1,365 文字、原稿用紙で3枚ちょっとですけれども、それを超えている記事は全体の 15 %ぐらいしかないわけです。ほとんどはちょろちょろで終わっちゃうんです。どういうのかといいますと、こういうものです。【パッシー墓地は、フランスのパリにある墓地】。いわゆるスタブですね。「それだけかよ。ほかに投稿することないのかよ」と思うわけです。記事を立てるなら、ちゃんと文章にしろと私なんかは思ったりするわけですけれども、こういうのが全体の8割とか、それぐらいのシェアを占めているわけです。こういうウィキペディアの問題があるわけです。


 4.作文「ウィキペディアと私」

 最後に、私がなぜウィキペディアにかかわっているかということを語ってみようかと思います。私が最初にウィキペディアを知ったのは、 2004 年の8月ぐらいですか。ある程度日本語版も大きくなってからのことです。何の表示か忘れましたけれども、ウィキペディアを見つけたのです。ちょうどそのころ、大学を卒業して割とすぐぐらいだったので、卒論で調べたことが載っているかなと思って見たら、なかったわけです。ですから、追加してやれと思って、追加してやると、だれかほかの人の編集が入って何か格好いい体裁になるわけです。それを見て、おう!と思うわけです。

 それからしばらくウィキペディアのことは忘れていたのですけれども、1年後ぐらいに再開しました。先ほど秀逸な記事というのがありましたけれども、秀逸な記事の存在を知って、自分が書いた項目をこの中に加えてやろうと野心をめらめらさせるわけです。自分を知ってもらいたい、評価してもらいたい、すごいんだぜ!と言いたい、認めてもらいたい、そういうのがあったと思います。そういう動機で、学部生のころ取り寄せて、手持ちにあった論文から投稿したのが、「ジャコバイト」というものです。査読依頼を経て、秀逸な記事に自分で推薦して、賛成が3つついて秀逸な記事に選ばれると、右上に星がつくわけです。星がついて万歳。

 次のねらいが、「月間新記事賞」に定めるわけです。最初、投稿していっても、どうやったら選ばれるのか、どうやったらピックアップされるのかよくわからなかったんですけれども、それもちょっとコツをつかむと、ある程度文章が出来上がってからドーンと投稿すると目立つということを学習して、それで投稿し出すわけです。その中で何を投稿するかということになって、「作業する方を募集中」ということで、この中にいろいろありますけれども、「翻訳依頼」の中にチューリップバブルというのがありまして、オランダで17世紀に起きたバブル経済事件ですけれども、それがあったので、早速投稿してやれと思って投稿したら、それも新着記事に選ばれて、先ほどの月間新記事賞の選考も勝ち抜いて、新記事賞に選ばれました。おめでとうございます。万歳と。その辺で、私「岸野」ではなくて、「 S Kitahashi 」がウィキペディアの中である程度知名度を得ていって、それで自分としては何か満足しちゃったわけですね、その認めてもらいたいというのは。

 満足していって、そのころに管理者に推薦したいのですがという話があって、先ほどの管理者投票を経て、管理者になったのは今年の5月です。

 今、管理業務は割とさぼりがちです。そして、自前の知識もなくなったので、今は時々京都大学に何か論文を取り寄せにいったりとか、国会図書館から取り寄せたりして、次、書くぞ!書きたいなとは思っているんですけれども、今、考えているのは、ウィキペディアに投稿する、自分で本を読んでも、だからなんだと。本を読んで、自分はそれでわかるんですけれども、それを書き出す場が欲しいんですよね。どこかの学会とかに所属しているわけではないので、論文発表の機会だとか、別に論文を発表できる水準に自分があるとも思えませんが、アウトプットの場がウィキペディアにはあるわけですよね。

 それで、百科事典をつくろうという大きいプロジェクトの中の自分がそのジグソーパズルのワンピースになれるわけです。そのピースの場所は別にどこだっていいわけです、自分の詳しい場所であれば。

 そういうのでウィキペディアを続けているわけですけれども、今、思っているのは、ウィキペディアから外れてしまいますけれども、明治維新以降、イギリスというのは、いわゆる近代化の模範というか、そういうふうなイメージがあって、何となくヨーロッパやイギリスに対するあこがれみたいなものが日本人の間にはまだあるんですね。それを実はそうじゃないんだという、そういうあこがれをうち砕いてやろうと、イギリスはこうなんだということを、主張ではないですけれども、ウィキペディアはあくまで中立的な観点に基づいて書かなきゃいけないというガイドラインもあるので、そのガイドラインの中で表現できるのじゃないかなと、私はそういうふうに思って投稿活動を続けているわけです。

 以上で終わらせていただきます。(拍手)




討論2

●野島久雄  ありがとうございました。ウィキペディアに関して、今、世の中でも大分話題になっていて、最近、大学生にレポートを書かせると、学生が調べものをやるのは、みんなウィキペディアでね。コピーベーストしてくるので、いろいろとありがたいような、困ったような状況ではあるんですけれども、そういうことは別にして、とにかく普及率が非常に高い。検索すると結構上に来るんですよね。

 何か質問とか、コメントがありますか。

●大谷裕子  無職とおっしゃったんですけれども、生計は何で立てていらっしゃるのでしょうか。

●岸野貴光  言っていいのですかね。ちょっと場が白けちゃうと思うんですけれども、、、、、(略)

●大谷裕子  わかりました。

 ウィキペディアの財団のほうから資金的な日本のグループに対する何か援助とか、サーバーの管理とかはすごく大変で、お金がかかると思うんですけれども、そういう資金面ではどのような運営をされていらっしゃるのでしょうか。

●岸野貴光  サーバーのハードウエアの管理そのものは財団がやっていますけれども、じゃ、日本語版、ウィキペディアにしても、ほかのウィキブックスとか、ウィキスピーシーズとか、何でもいいんですけれども、お金は一銭もおりてこないです。日本に事務所があるわけでもありません。有給の職員は財団で全部で3人だったかな。それぐらいで、あとはボランティアなのか、違うらしいですけれども、とにかく規模はそんなものです。

●大谷裕子  有給の職員がいらっしゃるというのは、日本にですか。

●岸野貴光  いや、日本にはいないです。

●大谷裕子  財団で有給の職員が3人……。

●岸野貴光  それと、サーバーを、説明は飛ばしてしまいましたけれども、全部寄附で賄っています。

●大谷裕子  わかりました。

● OBS   ウィキメディアファウンデーションのコミュニティコミッティというところでボランティアをしておりますキヅ と申します。

 先ほどのお話ですが、確かにサーバーや何かの費用は膨大なんですが、サーバーは現在は寄附で購入しているものが半分、例えば、ヤフーインクであるとか、オランダのNTTに相当するケネスネットというプロバイダーであるとかから貸与されているものが半分という感じで、寄附と貸与で賄っています。■■タンイキ■■ が膨大なお金がつくんです。それはやはり3分の1ぐらいは集めた寄附で、3分の2ぐらいは企業からバンドウィズのために寄附されるお金で賄っています。

 先ほど岸野さんがおっしゃったように、日本語版の管理者とかボランティアがしているのは、サーバー上にウェブからアクセスできるコンテンツの内容の管理であって、ハードウエアの管理には一切タッチしておりません。

 先ほどの有給職員の話ですけれども、現在5人おりまして、それは全員フロリダの現地の職員のオフィスで雇用しています。主に英語関係の問い合わせに対応していて、日本語に関して職員が応対したというのは、最近あったNTTレゾナンスさんからお申し込みがあって、こちらからコンテンツを提供するというのがありましたけれども、これは財団のほうのビジネスの話なので、日本側のボランティアは一切タッチしておりません。そういう感じで運営団体とボランティアの間は一応線が引かれております。

 私たちがしているのは、今話していただいたような、コンテンツにウェブからアクセスできる限りでの内容の自治的な枠組みの中だけで行動しています。

●岸野貴光  そういうことです。

●角 康之  京大の角です。ありがとうございます。基本的にインターネット上で作業ができて、お互いの顔は知らなくても、でも、何となくハンドルネームで、お互いのパーソナリティーとかを知りながらやっているんだろうなと思うんですけれども、お互いに顔を知らなくてもできる世界ですよね。皆さんお知り合いの方がこうやって集まられるというのは普段とは違った状況なんですか。いわゆるオフ会みたいなものもあったりするんですか。

●岸野貴光  そうですね。きょうも民博の研究会にかこつけたオフ会という側面もないではないですね。

● OBS   オフライン・リンケージのページがあるんですけど。

●角 康之  あ、そうなんですか。なるほど。

●岸野貴光  それは、タッチしていくと、オフラインで会いましょう、オフしましょうという、そういうのもありますけれども、そこまで到達するのは、なかなかディープにかかわっていないと、どこにあるのか多分わからないですね。

●角 康之  そこで会ってみて一皮むけるというか、やりやすくなるとか、かえってやりづらくなるとか、何かそういうことってあるんですか。

●岸野貴光  いいえ、特にそれはないですね。

●角 康之  せっかく会ったのだし、気になったところもフェース・ツー・フェースで話したほうが早いなとか、そんなことがあったりすることがあるのかなと思うんですが、かなりポテンシャルが普通の人間同士よりも知識レベルでちょっと高いレベルでやりとりしているわけですよね。だけど、顔を会わしていないという時期がずっと長くて、だから、何というか、話したいこととか、気になっていることとかのポテンシャルがすごく高い段階で初めて会ったりするわけですよね。そういうときに、我々の普段の人とのおしゃべりのときと比べて密度の濃さというのが大分違うような気がするんですが、そんなことないんですか。

●岸野貴光  IRCといいましてチャットもありますしね。

●角 康之  そうですね。気になるというか、興味があるのは、普段の道具としていろんなものを使いこなしているという。だから、僕らが思いつくのでは、メールとか、後はウィキペディアなので、これがコミュニケーションツールだと思えば、もうこの上で足りているのか、それとも、実はやっぱりチャットとかがすごく大事だとか、そういうのはどうでしょうか。

●岸野貴光  何というのかな、オフトピック的に何か話すことはありますけれども、例えば、そこで何か生産的な話があるかというと、これはあくまで、何でもいいですけれども、意見募集中、記事内容、こういうところで書かれているものがウィキペディアとして取り上げられるべきものであって、チャットであるとか、飲み会で会ったりするときに話していること、いわゆる一般の利用者から見れば、それは一つの談合というか、そういう側面になってしまうので、いろいろ話したほうが早いなあと思いつつ、会うと、ただ騒いで終わるという。

●角 康之  「ノート」というところを公開しているところが、経過も公開しているというところは、僕は今まで気づかなかったのです。「ノート」というところまで見てなかったのですが、裏の調整している部分とかをそのまま出しているというのが、ちょっと新しい驚きだったのです。

●岸野貴光  項目ごとに「ノート」があります。

●角 康之  これはおもしろいなと思ったんです。

●岸野貴光  ここで、多数決ではなくて、合意を形成して、記事内容をこうしましょうという話し合いになって、そしたら、よりよい記事になるでしょうという、そういうコンセプトですね。

●角 康之  その合意形成というのは、実際難しいですよね。顔を知っている者同士でも難しいのに、極端な話、知らない者同士でやっているパターンのほうが大部分なんですよね。

●岸野貴光  ええ、そうですね。

●角 康之  それがすごいなあと思うんです。そうでもないんですかね、そのほうがかえってやりやすかったりするんですかね。

●岸野貴光  それはあるかもしれないですね。何ていうのかな、途中で議論から足抜けしてもいいし、議論に横入りしてもいいんですよね。いつやってもいいという、それが参加しやすさ、魅力の一つになっているのかもしれないですね。逆にいえば、合意が形成されるまでの時間がかなりかかっちゃいますけれども。

●須永剛司  そのストラクチャーは各国で共通なんですか。いろんなところのウィキペディアをつくっているグループは、例えば、本文のとっている構造はどこからかフォーマットされているのですか。

●岸野貴光  はい、全国共通というか、世界というか、言語版ごとなんですけれども、これは「日本語版」であって、「日本版」ではない。ここに他の言語というのは、いっぱいあります。

●須永剛司  これは                     。

●岸野貴光  多少レイアウトは違いますけれども、大体同じような感じです。やっぱり英語版は重たいですね。

●須永剛司  そうすると、その「ノート」をどう使うかということは、どこから手に入れるのですか。「ノート」をどう使って、みんなでどういうふうにそのプロセスを構築していくのかというやり方そのものというのは、それぞれのグループが考えているんですか。

●岸野貴光  いや、もう何でもいいから意見を交換するところですね。「ノート」がなかったら、いきなり記事を編集しにかかるしかないわけです。そしたら、違う意見を持っている人がまた上から編集をかける。そういうのを「編集合戦」といいますけれども、そうならないために、「ノート」で話し合ってくださいよという。

●OBS  最初期にはノートはなかったのです。サブページという形で必要な時だけつくっていたんですが、やはり必要だということで、割と初期に、はじめてから1年ぐらいで、今のような形で、必ず「ノート」を用意するようになりました。

●須永剛司  それはどこが?

●OBS  その当時は、アプリケーションの開発は英語ベースでやっていまして、                      今の話にもあるように、各国語に翻訳したのだけれども、ベースは全部おなじものを使っていました。

●須永剛司  ありがとうございました。

●久保隅綾  ふたつ質問があります。ウィキペディアはだれでも参加できるというところに大きな意義があると思うんですけれども、ただ、やっぱり熱心に書き込まれる方というか、記事としてきちんと書けるリテラシーを持っている方はコアのメンバー中心だと思うんですけれども、今後ももっとたくさんの人たちに参加してもらうような仕掛けだったりとか仕組みみたいなものを考えられているのか、それとも、趣旨とか、ルールとか余り理解できない人は参加しないほうがいいとか、そういうのを何かお考えがあったらというのが一つ。

 もう一つは、すごく個人的な興味で、すごくたくさんの言語があるのですけれども、「日中戦争」というのを調べてみたんです。そしたら、言語によって書き込み内容にさまざまな偏りがあるというか、歴史観が反映されているのが私自身は非常におもしろいなと思って見ていたんですが、そういうふうに、言語の間で、いろんな歴史観なり、民族観とか、そういうのが対立というか、何かちょっといざこざになったりするケースというのはあったりするんでしょうか、それとも余りそういうのもなく、平和に運用されているのでしょうか。

●岸野貴光  まず、ウィキペディア利用者、ただ見る人じゃなくて、編集に参加しようとする人を増やそうという話ですよね、まず1つ目ですけれども。そういう取り組みは余りないですね。「井戸端」というのがヘルプの中にありまして、初心者にはそこで何でも質問したら回答が返ってくるようにはなっていますけれども、後は、コミュニティポータルの中でまだウィキペディアになれていないのならと、この辺が初心者の人へのガイドラインなんですけれども、大半の場合は、ここをすっ飛ばしていきなり編集しにかかるというのが多いんですね。

 それから、2つ目は何でしたか。

●久保隅綾  2つ目は、いろんな歴史的な問題とか、そういうところの項目について……。

●岸野貴光  日本でいえば、韓国、朝鮮、中国関係の記事、これがまず荒れます。それから、アナウンサーなり、芸能人なりの本名とか、そのプライバシーにかかわるものを載せる、載せないというところでも荒れます。これは日本語版ですね。

 ほかの言語版はどうなのかな。英語版でイスラム関係のものが荒れるというのは聞いたことがありますけれども、そのぐらいでしょうか。

●久保隅綾  「日本語でこういうふうに書かれているけれども削除しろ」みたいのが例えば海外から来たりとかするんですか。

●岸野貴光  今のところ、ほとんどないでしょう。

●OBS    イスラエル関係が結構あって、最近のウルドゥー語版のイスラエルの記述では、パキスタンがイスラエルを承認していないので、ウルドゥー語版のイスラエルの記述をイスラエル側の人が見ると、許しがたいような視点があるわけですね。その辺の調整というのは、時たま話題になります。

●久保隅綾  それは、その言語を運営しているウィキペディアの編集者同士で相談して調整していくんですか。

●OBS  そうですね。だから、英語の国際的な言語をまたいだ議論を継続しているところがありまして、そういうところに周期的に問題として指摘されてきて、そのつど誰かが英語の訳を掲示してきて、それを     希望して、それを改めてインド版なり、   語版なりにフィードバックしていく。ただ、フィードバックされた先が本当にそうなっているかというのは、その言語を知らないとわからないので、やはりお互いの言語を信じるしかない。

●佐藤浩司  基本は、やっぱりコミュニケーションツールと言いたいというか、そのように見ているんですけれども、聞いていて驚きだったのは、ベースに真実とか、正しい知識とかいうものに対する一種の信仰が皆さんあって、正しい記事を残すためにどうするかということをいろいろ努力されている。ちなみに、その「コミュニケーションツール」という言い方では、例えば、ミクシーは、日常会話のようなものがその会話のベースになりつつ皆さんがコミュニケーションしているわけだし、先ほどの須永先生のは、かなり特殊な例だと思いますけれども、地域をベースにそれをやろうとしている。地域のことがベースになって、それに対する寄り合いの話や知識を追加しているわけだから、あくまでミクシーにしても、先ほどの例にしても、個人の主観を言えば済んでいるわけじゃない。

 今回のこのウィキペディアの場合には、知識なんだよね。みんなが何かある種の抽象的な真実があると思っていて、その真実の一部を充てんするために自分の知識を追加している。ところが、それはやっぱり一種の幻想だから、真実なんていうものがない領域だってもちろんあるわけで、正しく書けるのは、何か正しい引用の出典があって、もうすべての人が大体それが正しいと思っている記述を要約して書く分には幾らでも充てんできるけれども、そうでない、全く違う自分の考えとか新しい真実を追加していくような領域になった途端に意見が分かれてくると思うんです。そこにまずぶつかっていないからというか、ぶつかったときの真実さをどうするかというのは、ウィキペディアが今後どうなるかの鍵がそこにあるかなという気がしていて、「荒れる」というのが多分そのへんのキーワードなんですけども、荒れたときどうするかと、いわゆる2チャンネルとか、そこでみんなが集まって嫌なやつは除くと、そういう解決の仕方だと、それは真実とはまた別のものですから、その荒れること自体を相対化するような方向をウィキペディアの中で内包しているのかなというのが気になったところです。質問じゃなくて、感想です。

 あと、小山さんとか、ありますか。

●小山修三  これは新しい学問の学派を立ち上げたのに似ていて、京大の先生がコメントしたり、素人の方がコメントしたりしているのを聞いていると、これは完全に将来、分離というか、変なのは落ちていって、そして君らの学派が成立するでしょう、多分。佐藤さんが今言った真実がないというのは、私は次ので話しますけれども、オーストラリアのアボリジニの歴史というのをずっと調べていくと、英語で読むわけです。向こうへ行ってアボリジニの話を聞くと、完全に逆なんです。僕らがずっと入れた知識というものは、全部裏返しになる。どっちが本当かと言われたら、僕がアボリジニに飲み込まれているうちに、だんだん向こうが本当だと思い始めた。そしたら、何万ページとあるやつは、全部嘘ですよ。だけど、それはそれでアカデミックとして残っちゃうんです。きょう、あっちで話していたけれども、例えば、日本だと、「邪馬台国はどこか」というのを取り上げたら、これは絶対に一つにならない。それから、「任那の日本府」とか、「白村江の戦」とか、日韓関係ね、真実は出てこない。向こうから見る限りは向こう、こっちから見る限りはこっち、妥協点なしだと思います。

 これをつくった人は非常に理想に燃えて、多分英語では「 common wisdom 」という表現だと思うんですけれども、本当に common wisdom というのが正しいかどうかは保障できない。 common wisdom というのはあくまでそういうものであって、逆の見方からいうたら、それで終わりというふうになる。これは魑魅魍魎の学問の世界を通り抜けてきた感想と受け取ってくださって結構です。

●岸野貴光  検証可能なことを書きましょうという、信頼できる出典に基づいてというので、ウィキペディアはそういうところなので、自説を主張するわけにはいかない。そういうところである程度の限界というのがありますね。例えば、自分一人が体験したのが幾ら真実であっても、それがほかの人にわかるように検証されるように、例えば、何か記録に残っているだとか、そうでない限りは書いちゃだめですよというのがウィキペディアの基本的な姿勢です。

●OBS  抽象的な観点について、、、

●岸野貴光  それはちょっと、時間もあれなんで。

●加藤ゆうこ  まさにイギリス史にかかわることを先週調べていたので、もしかしたらこの後言ったら、ちょっとよくわからなかったところが追加されるのだろうかというすごい楽しみを持って聞いていたんですけれども、ジダンの頭突き問題が消えたとかいうのもずっと見ていたところだったので非常におもしろかったんですけれども、私が聞き漏らしているのかもしれませんけれども、スタブという先ほどの表、グラフが出ましたけれども、それについての財団としてというか、全体としての方針というのがあるのかどうか。例えば、あのあたりは非常に皆さんが知りたがってそうな割にデータが全然ないじゃないかということを、自分が検索したときに使えなかったみたいな、墓地についての発信は1行しかないからつまらないとかいうことで、この辺の記事をだれか埋めてくれないかみたいな、そのやりとりというのは、それぞれの項目についての「ノート」じゃなくて、あるいは common wisdom 的なものをめざしている人たちにとって、例えば、日本語版ではこの辺が非常に少ないんだけれども、こういうのを埋めていく人はだれかいませんかとか、そういうエンサイクロペディアとしての何となくある種の理想形みたいなものを持ってみんなが中でやっているのかどうか。

 なぜかというと、さっきの須永先生の博物館の話とか、SNSとか、ブログとか、そういうのを見ていると、非常にボランタリーな積み上げ型の知識がたくさん集まることというのが、表現として楽しいというのが一つあるんだけれども、でも、多分博物館とかにしたら、百科事典の編纂者とかにしたら、表現が楽しいというのとは別に、価値としてたくさんのものを持っていたいとか、ほかのところにない価値を自分のところに持ちたいとか、そういういろんな野望があって、それをお金にかえてやるというふうにやっていると思うので、この場合は、スタブを埋めたいというような話がどこかの中であるものなのか、それは、もう全くそれも関係なく、それは十勝の田園のと同じというか、似たように、有志の積み上げによってすべていけばいいのだという方針なのかどうか、その辺をちょっと。

●岸野貴光  記事の偏りだとか、スタブが多いだとかという問題は、ウィキペディアンの中で強く意識されている問題の一つで、左のメインページにコミュニティ・ポータルとありますけれども、このコミュニティ・ポータルのところに「作業する方募集中」というのがありますね。強化記事というのが、毎月これを膨らませて、いい記事にしましょうというのがありますし、これは未執筆、執筆依頼ですね、こういうのをだれか投稿してくださいというのがあります。この赤リンクが今はないですから、だれか投稿してくれというのもあります。翻訳依頼というのは、外国語版にあるから、これをだれか翻訳してくれとか、そういうものがあったりとか、いろいろ充実させるための仕掛けがあります。

●加藤ゆうこ  例えば、未執筆のを書いてほしいというのは、例えば、「ソユーズ1号」は3日後にだれかが書いたとするけれども、「平均台」が3年たってもだれも書かなかった場合には、未執筆というところに残っているだけで、しようがないだろうという、そういうことになるんですか。

●岸野貴光  そうですね。依頼しっぱなしで、ずっと干されているのがよくあります。

●野島久雄  時間が大分なくなってきましたが、ここで10分くらい時間をとって、つぎに小山さんの話にしたいとおもいます。どうもありがとうございました(拍手)




無文字社会の情報伝達

●小山修三  久々に初々しい若い研究会に参加しまして、非常におもしろいと思います。私は、もう学者として滅んでしまって、きょう話すのも回顧談みたいなことですが、佐藤さんが、アボリジニのことについて何か話してという。ただ、みんなアボリジニなんて何も知りませんよというので、スライドのほうから先にやらせていただきます。

 下にあるのがオーストラリアです。オーストラリアに「オーストラリアン・アボリジニ」と言われている人たちがいます。これは陸の孤島で、今いろいろ意見があるんですけれども、 200 万年前に、あのあたりでオーストラロピテクスみたいなのがいて、それがずっと広まってきたというような話がありますし、それから、最近の説では、出アフリカ( out of AFRICA )と言われていて、 20 万年かそこら前に今のホモサピエンスの祖先が出てきて、それがずっと世界に拡散していったというのがあります。日本も大分古くまでいっていたのですけれども、全部うそだった。捏造事件というのがありましたけれども、今は大体3万 5,000 年ぐらいが一番古いという、もうちょっと古いのがあるかなという程度ですけれども、ホモサピエンスといわれている集団が世界の人類のもとであろうと言われています。

 実は、その前にネアンデルタールというのがあって、シャニダール洞窟というところで、8万年前に埋葬して、そのときに花を供えたという仮説が出たのです。それは花粉分析によってです。すばらしいじゃないかと、ネアンデルタールも俺らの祖先だというような意見が出ました。ところが、ネアンデルタールというのはヨーロッパあたりにいたもので、ネアンデルタール人がが現在の人類に直接つながるとなると、ヨーロッパ人の祖先はネアンデルタールになるのです。「ネアンデルタール」というのは英語でいうと、「ばか」「低脳」ということになるので、そのラインをものすごく嫌うわけです。ネアンデルタールというのは、不思議と洞窟の中できれいに丁寧に埋葬する人たちです。発掘して、骨の下の層を花粉分析したら、草花がいっぱい出てきた。それで花びらだというか、フラワーチャイルドだというような意見になりました。ところが、それをヨーロッパでは絶対に許さない。「俺はばかの子孫じゃない」というようなのがあるのでしょうね。

 それは、ヨーロッパ人の悪口を言っているのじゃなくて、実はそのヨーロッパからたどってオーストラリアまで来たときに、アボリジニの形質的な特徴というのは、ネアンデルタールにものすごくよく似ているんですよ。一番顕著なのは、眉上突起・隆起というんですけれども、ここのところがものすごく発達している。だから、老眼鏡などはその上に置けるというぐらいなもので、僕らもここでアボリジニ展をやったときに、彼らを呼んで、絵をかいてもらったり、いろいろしたんですけれども、「ネアンデルタールと一緒にうどんを食っているのか」と思うと、すごい感激した覚えがあります。その問題がいつも出入りしてくるんです。さっきウィキペディアのことでも言っていて、どう認めるのかというときに、心情的なものだから、日本人は余り関係ないから、「ネアンデルタールは祖先でもいいんじゃない」というような感じがあるけれども、「アボリジニの祖先がネアンデルタールなら認める。だけど、俺たちの祖先としては認めない」とかと、ややこしくなってくるというのが、そういう問題が実はあるんです。それは、アボリジニがいるところに 1788 年ぐらいにイギリスのキャップテンクックか何かが行って、イギリスの植民地にして、アイルランドのイギリス人を中心にオーストラリアを新しい国家まで育てていったという、彼らは、すねに傷を持っているものですから、そういう問題があるんです。

 もう一つは、今5万年前ぐらいにいたのじゃないかと言われておりますが、そんなん行けるのかという問題があります。5万年前に船を持っていたのか。どう調べても、船がないと、一番短いところで70キロメートルぐらいのすき間ができるんですね。ここらでできるのかな。これは海面が低下したときにニューギニアとつながっていたらしいんですね。だから、ニューギニアにカンガルーみたいなのがいたりするわけです。ここはいいんだけれども、あっちから■■ケレッジ■■という問題もありまして、アボリジニがいつ行ったのかわからない。オーストラリアは国粋主義的になると10万年前までいったとなるし、私らは、初め文献を調べたときは1万年、それはアボリジニが犬を持っているからというからですが、今いろいろ発掘したり、カーボンで出したり、TL(サーモ・ルミネッサンス)というのでいろいろ調べてみて、大体5万年前にここに渡ってきたと。オーストラリアというのは、カンガルーがいたり、カモノハシがいたり、ハリモグラがいたりして、動物、違うでしょう。卵を産む動物とか、ほ乳類みたいだけれども卵を産むとか、袋の中で子どもを育てる有袋類、全然違うんですね。僕らが見ている犬とかいった獣は新獣類ですけれども、有袋類というので、ちょっと違う。相当違っていて、どうもあそこはぶち切れているらしい、相当早いとこ。そういう問題があって、非常に特殊な地域です。

 さっき言いましたアボリジニがネアンデルタールに似ているというのは、左手のおばさんなんかはそうです。アントニオ猪木みたいに出ているでしょう。余り大きくなると巨人症みたいなのが出ると、顎が尖ったり、ここが出たり、相撲取りなんか多いですよね。そのような傾向があります。この娘は、私が行ったころは、きゃしゃでかわいかった子がこれとそっくりになっていて、がっくりするぐらいです。男も鼻が座っている。これはネアンデルタールの人間の古い身体的特徴というのがよくあらわれているというようなことで、非常に特殊な人物です。しかも、農業はやらない。狩猟採集をやる。そこにイギリス人が入ってきた。今でも農業を入れようとしているけども、マーケットに行ったらいろいろ売っているのだから、農業なんかする必要はないということで、ハンター・ギャザラーというのは、魚がいっぱいいる、カンガルーがあそこにいる、沼に鳥が集まるシーズンがありますね、渡り鳥なんか、そのときはそこに行くという、獲物を追うような形でキャンプを移しながら定住しないでずっと回っていくというのが特徴なんです。そういうのを全部挙げると、非常に変わった民族というのがあります。

 移動するから重いものは持っていないわけです。ところが、親族組織がものすごく複雑なんですよ。きょう説明しようと思ったけれども、1時間では無理だし、どうせ君らもわからないし、僕もやっていてもわからないので、やめますけれども、ものすごく複雑な親族組織を持っている。それが不思議なんですね。でも、ネアンデルタールは頭脳が大きいから、人間より賢かったんだと河合雅雄先生なんかは言いますけれども、とにかく精神世界というのは非常におもしろい。

 これは僕がまだ若いときの写真です。こいつらは足が長いでしょう。同じ身長なのにこれぐらい違う。足がすらっとしていて、太股というか、ふくらはぎが真っすぐしていて、日本の女の人を見て「あんな足が太くてよく歩くな」なんて言っていました。

 これは農民の子孫で、これらはハンター・ギャザラーの子孫で、もとが違うのかどうかというような問題もあるんです。

 オーストラリアはふたつ顕著な地域があって、全体的に非常に乾燥した中央砂漠地帯がありまして、飛行機の上から見るとこんなんです。こんなようなところがずっと続くところがあって、雨が降ると、川に沿って、ここらが少し水分が多いと緑になるという状態で、年間20ミリかなんかそんなようなもので、だけど、突然大雨が降ると、そこらは洪水になるという、受け手がないというか、とにかく砂漠地帯が続いている。それでも、二、三十人のバンドといわれる集団をつくって、彼らは足でてくてく歩く。一夏に何千キロ歩いたという記録もあるらしいんですけれども、そういうふうに徒手空拳というか、しかも裸でいる。

 これは、私が行っていた北海岸のマニングリバーというところで、夕方子どもが遊びながら火をつけているのです。これは後でコメントしますけれども、海のほうは、熱帯に入りますから雨季と乾季があって、魚もとれるし、私らには非常に行きやすいところなんですね。私は立場上ほうぼう回ったんですけれども、結局ここが一番多かった。

 ここは、私が1980年にちょっと行って、82年に行って、84年に行ってとかいう、私の故郷というか、これはコパンガという村ですけれども、これは35人から36人いる村ですけれども、みんな鉄砲を持って、ちょうどカササギ狩りのシーズンで、村じゅうが出かけていって、そういうのをとるんですね。後はマーケットで買ったお茶とパンを持っていった。パンがないときは小麦粉を持っていってダンパンというものをつくるんですけれども、一応というか、基本的には狩猟採取民である。物はほとんど持っていないですよ。こういうような生活を送っています。私は若いでしょう。これが1982年だからね。

 これはビールは持ち込んじゃだめなんだけれども、持ち込んで懐柔するんですな。こっそり持ち込む。一般的には禁酒なんです。なぜかというと、1ダース持っていったら1ダース全部飲んでしまう。2ダース持っていったら2ダース飲んでしまう。彼らは、とったものはその日のうちに処理するというのが基本的にあって、もうとにかく飲み出したらとまらない。2週間に1回ぐらいダーウィンというまちからいろんな生活物資を送ってくるのですけれども、そのときに、1人40本かなんかのライセンスを持っている人はそれをやるのですけれども、そのつぎの日に全然村が動かない。そういうところに行って、佐藤さんが、若いときからやってたんでしょう。それを見せてくださいということで持ってきたんです。持ってましたよ。これはちょっと後でお腹が出てきていますけれども、■■ガマ    ■■というまちですけれども、映画をとりに行ったときに、こういう格好をしてだらだらして過ごしているわけです。何もすることがないのだから。鉄砲を持たしてくれといっても、「お前はだめだ」という。肝心なことは何もさせてくれないから、子どもを相手に、「お前はブルースリーの兄弟か」「いや、あれは俺の甥だ」、どこに行ってもブルースリーをやらされた。これはこの間行ったときのもので、もう衰えていてフィールド調査なんかできない。ここにあんたと行ったときは2002年?

●久保正敏  もうちょっと前、1998年ぐらい。

●小山修三  これはレゼナというところで、昔なじみの女の子です。それの孫ができている。

 彼らは、こういう絵をかくんですよ。写実的な絵じゃないんですが、こういうふうな絵をかくのです。これはまた後でお話に入ると思います。

 私は、1979年ぐらいから初めにオーストラリアに行きまして、80年からアーネムランドという、さっき言ったコパンダという村に入りまして、それから延々と続いているわけですけれども、一応1992年に民博で特別展というのをやって、それから引退したり、ちょうど考古学で三内丸山遺跡とか、あっちのほうがうるさくなって、吸い込まれて、そっちのほうになってしまいましたけれども、それでも時々よく参ります。

 私は、民博に入ったのは1976年です。それまで考古学をやっていて、縄文時代の人口の計算をしたり、考古学者としては落第だったのですけれども、それでも考古学でそのような仕事をしていました。ところが、民博に入ってきたら、梅棹さんとか佐々木高明とかいったのが出てきて、考古学やったらあかんと言いよるんですよ。考古学者は民博ではとらない、民族学でやると。民博は1977年にオープンしたのですけれども、日本の民族学の伝統というのはアフリカとアンデス、中国、少し東南アジアという、占領したところとか学問の目標としたところが中心でしたから、オーストラリアというのは、ほとんどというか、全然物はなかった。


 ■アボリジニの親族組織

 ところが、さっき言いましたように、オーストラリアのアボリジニの「親族組織」というのがものすごく複雑なのです。彼らはおもしろいんです。これが人間の社会とするでしょう。これを2つに割るんです。半族、人間は半分に別れているという理解をしているんですね。源氏と平家、白と赤、ギリチャンとドアという2つに分けるんです。結婚するときは、男がいるでしょう。女がいるでしょう。絶対にこの枠は相手の半分のほうから女をとらなきゃならないという、これは絶対に守るんですよ。中学生とか、子どもがいろいろ遊戯をやっている例がある。例外もありますけれども、本当にすごいです。

 その上に、親と子という横の年代のラインがある。私の親、私の子ども、これにさらにこのように割るから、わけがわからんようになるけれども、人間は大体8つに分かれる。その8分類が男と女とにある。例えば、結婚する相手というのは、父親がこっちから出たら、母親は別のところから出てきます。自分の兄弟はこっちのラインだからというふうになっていく。人はどう行動すればいいのかということは、この割り方の中で全部役割、義務を決めてしまうんです。この説明はほかの人がやったほうがいい。

 私が一番びっくりしたのが、幾つかあるんですけれども、コパンガの村に入りますと、自動的にというか、受け入れの条件が「そこのボスの息子になる」という条件で受け入れてくれるんです。なぜかというと、ボスが何の心配もなく僕に命令できるからです。「あっちへ行け」、「何か買って持ってこい」というように命令できるからです、親父と息子の関係、これをきちっとやるわけです。そしたら、そのボスの子どもは私と兄弟でしょう。それから、ボスの女の子どもは女姉弟でしょう。これが従兄弟、これが又従兄弟というふうに、この中に割りつけられてしまうのです。そうすると、「あれはお前の嫁はんだぞ」というわけです。お嫁さんになる人が、そのグループがたくさんいるんです。ばあさんもいれば、赤ちゃんもいる。そういうふうなことで、もう嫁はんまで決まっている。「お前の嫁はこれだ」と言われたら、何か本当に嫁をもらったようですから、先生、消してくださいとかと言われたと。だけど、それは嫁になるカテゴリーだというふうに言われました。

 もう一つ、これをやるもので、上下差がわからなくなる。威張ったおっさんが子どもを抱いて「 this is my grandmother 」と言う。こっちは頭が狂ってしまうよね。わざとそう言っているんだけれども、日本でも、私らもアボリジニとよく似た四国の田舎から来ていますけれども、四国でこういう大家族をやるときは、親類は全部年齢差で分けていくでしょう。○○おじさん、△△おばさんとかというふうに年齢でずっと分けていきますね。「さん」づけで呼ばないとか、命令できるとか、年齢差で分かれているけれども、アボリジニでは、血筋とか、半族とかで分かれているという、全く違うような状態になってくるわけですね。そういうところに私は入っていったわけです。


 ■アボリジニの無文字社会

 きょうの話を「無文字社会」というようなことで話してみないと佐藤さんに言われて考えたのですが、そいつらの社会に入っていくと、彼らは、言葉を言わないという制限がものすごくかかってくるのです。

 一つは、私が行っていたところはブララというところですが、彼らは現地語でしゃべって、それから、1967年ぐらいからはオーストラリアの国民になっちゃいましたので、そのために、国民としての義務教育があるから、英語の先生が入ってくるのです。読み、書き、そろばんみたいなことは義務教育としてやるから、若い者は英語がわかる。年寄りは、白人とつき合って、疑似イングリッシュみたいな言い方をして、僕みたいなすてきな発音をしても、「グッドワン」とか言っても、「ノー、ノー、グロウワン」とか全部直されるんですけれども、英語は大体通じます。それから、現地語は、聞いてわかるとか、やっているうちに何となく、ウンガリーカ、アンジエリーカは1と2ですけれども、それじゃ、3はどうか、ウンガリーカ・アンジェリーカ、アンジェリーカ・アンジェリーカは2が2 というような形で、私が行っていたところは、1と2でしかやらないんですね。たくさんになったらどう言うのかというと、「ビッグモック(たくさん)」という、「1」と「2」と「たくさん」しかないというようなやり方です。「20」という数字を数えるのは大変です。アンガリ、バンガリ、バンガリ、バンガリ、バンガリ、バンガリ……と数えて「twenty」と言うと、「日本人は賢い」と。2をずっと連ねていくとか、そういうようなおかしなところなんですけれども、とにかく中途半端な英語、ピジンに満たない英語と赤ちゃんみたいに何となく覚えた彼らの言葉で結構通じるんです。

 なぜかなと、いろんなことがわかるんです。さっき言っていた言葉で、「自分がボスの息子で」というふうになってくると、しゃべっちゃいけない人というのが出てくるんですよ。僕はいいですよ。やつらも賢いから、僕をただの客人というか、おもしろまぎれに受け入れているのと、それから、いざとなったら「お前、息子だから、それをよこせ」というような使い分けはするんです。私はろくなフィールドワーカーじゃなかったせいで、例えば、後の久保田君とか、杉藤(重信)とか、社会に打ち込んでいる人は、「お前は私の娘である」というと、彼らのセンチメンタルな関係というのも、ゲマインシャフトの関係、地縁の関係に近いような感じでいろんなことをしゃべるんです。僕はずっとお客さんだったみたいな気がして、適当にこの演劇の場で使われていたと思うんです。

 ただ、しゃべっちゃいけない人がいるというのはあるんですね。実は、私だけじゃなくて、一番初めは、これはそのコパンガじゃなくて、他の町で、僕は収集のために、民博からお金を持っていって、彼らがつくったやつを買い取るという仕事もしていたんです。そのときに、かわいいし、頭はいいし、これはいいやと思って、「僕の妹になってくれ」と。兄弟だったら何でも自由に言えると思うしね。なかなか「うん」とは言わないんです。「have a my sister」と言い切っても、なかなか「うん」と言わない。パンをあげたり、いろんなことをして、ついに「うん」と言った。そしたら、しゃべってくるんです。男兄弟と女姉弟は直接しゃべっちゃいけない。それと、その女姉弟を他人に言うときには、褒めちゃいけない。「あのくそ女が」とか、「あのばかが」というふうに、もうむちゃくちゃ言うんですって、言わなきゃならない。それもよう言わんのやけど、「あの旦那がどうして」と言うんだけれども、調子に乗って「あいつはばかだ」と言ったら槍で刺されるかもわからない。

 そういうふうになるし、その私の妹の子ども、また姉さんでもいいんですけれども、それは「ネイルマザー」と言われるのですが、男の母親と言われる立場になるんです。写真を映すのをものすごく嫌うんです。怒るから、私の兄弟という男のやつに一度カメラを渡して、お前の撮ったやつを全部ダーウィンに持っていって、現像に出すからとやったら、その男は、全部女の姉弟の子どもを中心に撮る。言葉に言えないぐらい愛情をそそぎ込むわけです。もっと困ったのは、ろくろく口をきいてくれないのを僕は口説いて、どうせなら妻のほうにすればよかったと思ったんだけれども、つい日本的なのが入っちゃって、そうすると、向こうは命令するだけなんです。それから、僕の持っているものは何をとってもいいと。ものすごいよ。眼鏡をとられたり、靴をとられる。そういうような立場。だから、会話をしなくなる。「ジャバコ」とか、「プレート」とか、短い言葉で言うだけです。ものすごく言葉を倹約するんです。

 それから、あの人には絶対に話しちゃいけないというのは、自分の妻のカテゴリーがいるといったでしょう。その人のお母さんです。私はどうでもいいから適当に言ったりするんだけれども、これは病院があって、看護婦さんになる人が多いんですよ。保健婦みたいになる。傷したら、切って消毒したり、いろんなことを看護婦さんがするんです。一度泣きながら飛び出してきたことがある。あの人に話したり、体に触ることは禁じられているから、何もできないんです。そういう関係の普通の患者が来て、それで看護婦だからちゃんとやればいいじゃないかというけれども、その社会ではその人に口をきいてもいけないし、さわってもいけないし、何にもできません。もっとひどいのは、あそこに自動車工場があるんです。トヨタの四輪駆動が彼らの唯一の武器というか、もう最大の一番必要とするものなんです。その修理工がいて、そこの若いやつをトレーニングせなあかんというような時代。そしたら、たまたまマネグリダというところの自動車の工場に行ったら、そこの工場の親分が若い入ってきたやつの成人式の執行人だった。親だった。口をきいちゃいけない。自動車のあそこが悪い、あそこを直せとかいうのを全部身振りでやった。白人も笑い転げていましたけれども、本当にしゃべらない。そういうふうにインフォメーションを空白にするようなところがある。なぜかよくわからないんだけれども、そういうのがある。今言ったのは忌避関係、アボイダンスですけれども、今度はジョーキングリレーションといって、どんな卑猥なことでも何でも言うやつらもいる。女なのにペラペラ言って、これも大体俺の缶詰めとか、そういうのをとろうとしているんだけれども、ジョーキングリレーションみたいな関係に入ってくると、とってもいいというのがある。それはこの親族関係の説明とか、フィールドのとかをつき合わせて「この人がこうだった」というほうがわかりやすいんですが、そういうふうに、何を言ってもいい人、普通に話す人、命令を聞くだけ、口をきいちゃいけない、こういうのがずっと日常に規範の中に入ってくるのです。「恥ずかしいわ」とか、そういうのじゃなくて、もうだめなんです。そういうのがある。これはおかしいよね。

 それから、彼らは、もう一つは、夜中に酔っぱらって怒鳴るときのほか、非常に会話が一般的に少ないような気がするんです。久保さん、どうでしたか。後でコメントしてもらうけれども、狩りの場に出るからかなと思うんだけれども、女を口説くのにどうするのかと一度聞いたことがあるんです。海辺に行って、みんなから抜け出して何とかというときに、何かこうしてカパッとやってしまったら、約束ができて、そこに行ける。ものすごく■■ソザイダンゴイケル■■。「お~い」とは余り言わない。近寄ってきて言う。あいつらは、「おいおい」と言うとき、後ろから行って、こういうふうに下がるんです。ちょっと押すとか、言葉をずっと倹約していく傾向があるんです。狩りの場なんかに行くと、私は車に乗って村に入っていくんですけれども、「ハンティング」と一言言うわけです。こうやっていて、「何か」と聞くと、「水牛だ」と言う。何かこうやると、それは「カンガルーだ」と言う。こういうふうな言い方をする。すごく言葉を倹約する。

 どうしてか。さっき言った忌避関係で、自分の妻の母親には一言もしゃべっちゃいけない。それはようわかる。今でも私はそれをやっているぐらいだから。女房のお母さん、そんな恐ろしいやつとしゃべりたくない。女房にもしゃべらないというぐらい。それはいいとして、全体に言葉をものすごく倹約するんですよ。これはどうしてだ。ラドクリフ・ブラウンなんかが、社会の人を分離する、それから統合するとかというのを忌避関係とかいうので説明しようとしたんだけれども、きょう文化人類学事典を見てたら、そんなものは粗っぽすぎてだめだという。うまく説明できないんですが、情報みたいなものをやっている人が言葉を倹約するというのは何なんだろう。例えば、イコンに置きかえるとか、そういうのは何なんだうというふうに考えてみてもいいのじゃないかなと。女房がうるさいとか、母親が嫌らしいとか、そういうことだけではないような気がする。大きな謎で、思い浮かばない。

 もう一つは、大した参考にはならないんだけれども、彼らは、文字がないんですよ。今は、教育が入ってきていて、現地語を教えるときでも、全部ローマ字であらわしています。それから、英語で「one」、「two」とかいうのを書いてます。けれども、基本的に文字はないんです。何があるのかという話になるのですけれども、これも1960年代ぐらいにわかったことなんですが、砂漠で点描画というのをかくんです。これは記号だというんです。これが水で、木で、家。記号だから幾つか意味があるんです。同心円だと水葉とか、家だとか、おっぱいだとか、そういうもの。それから、これはブーメランとか、これは男が座っていて、ここへ■■ナラララ■■、棒を持って、クーラモン(水入れ)を持っている。これは女か、女が水着あさってんのか。これが道だとか、グニャグニャが続いていると雲だとか、そういうふうに幾つかの記号があって、それに意味を当てはめていくんです。こんなのはわからへんやないかと言うんだけれども、そうじゃなくて、これを見て彼らはある話を、部族の神話をさっと語るんです。

 これなんかは、「バークペインティング」という、木の皮にかいた有名な絵です。ユーカリの皮をのばして、白い粘土と黒の炭とか、マンガンと、それからイエローオーカー、レッドオーカーの4種類ぐらい使ってかかれています。これは人間の具体像が出てくるんですが、こういう変な格好のやつにいろんな意味をつけるんです。その意味が大体決まっているのです。しかもこういうものを見て彼らは話をし、主に神話の話をするんです。蛇になっていって、水を飲んで、ずっとアリススプリングスからエアーズロックまで行って、途中で何だかんだという、彼らはトーテムですから、蛇が人間になったり平気でするんですけれども、その絵を見てそういう話を説明できる。うそを言っているかもわからんというか、そういう組み合わせが出たらそういうものだとわかっているのかもわからないし、そういうものかもわからない。

 だから、記号のところまではある。それで、文字がないんですよ。文字というのは都市文明の中から出てくるから、彼らは文字を発明するまでに至らなかったのか、あのしゃべらなさを見ていると、どうも情報というものを聞き込んでいくような必要性というか、そういうのがなかったのかしらと最近、思い始めてきました。言っちゃいけないことがいっぱいあるんですよ。人の名前を言っちゃいけない。僕らは知らないから、「○○バー!」と言う。こんなんになるんですよ。呼ばれた本人もこんなになる。だけど、「ジョニー」という英語の名前だと、そこらにいっぱいいるから、「おい!ジョニー」と言ったり、「小山」とか言ったり、「お前はわしの息子だ」とか、すぐそう言うんだけれども、「○○バー」とか、「ウンダボルダ」とかいうような彼らの言葉では名前は呼ばない。死んだら、名前は絶対に言っちゃいけない。殺されるかもわからないぞと言われるぐらい。今はちょっと変わってもきているんですが、名前を呼ばない。何ていうのかと思ったら、「deadbody」というふうなことを言うんですね。そういうふうに、えらく言葉を倹約するというのは、私があの社会に入ってやったことです。

 彼らはどういう世界観を持っているのかということですが、ものすごくシンプルにいえば、彼らには神話の世界があって、その神話が彼らの生活を全部縛っているものだというんですよ。実は、彼らは神話の理想の世界からたまたま出てきていて、体があって、そこに宿っていて、体がなくなったらまたもとへ帰っていくというような考えを持っているらしい。だから、「deadbody」というときは「あの人」ではないというような認定をするらしい。だけど、これは結局広い意味でのアニミズムみたいなのがあって、日本でも「名前を呼ばないものだ」とか、「かの人」とか、「あの人」とか、そういうようなことを言うというのに似てなくもない。名前を呼ばれるのをものすごく嫌がる。アフリカとか、そういうのもあるのじゃないかと思いますけれども、とにかく名前を呼ばない。

 情報をものすごく倹約するというのがあるわけです。それはアニミズムの世界があって、魂が浮いていて、たまたま出てきたので生活していて、死んだら消えていく、またもとへ帰っていく。たまたまカンガルーになったり、ワニになったり、水草になったり、雲になったり、いろんなこともするんですけれども、そういうものを通しながら、そういうものだと律する社会があって、それは非常にシンプルなものなんですよ。これもいろんな事象を倹約しているのじゃないかと思うんです。だから、狩りのようだと思っているようなところがあって、とにかく余り説明しないで、酔っぱらったときしゃべるぐらいで、黙って生きていくというのが彼らの本質かなと思ったりします。

 ただ、それをどうやって覚えるのかというと、こういうのは、絵が僕は思い出すきっかけではないかと思うんです。描かせると、ずっと一連の絵をかいたりするので、彼らの話があって、割合シンプルなことを、「ここが大事だ」とか、「ここに行ったらとれる」だとか、基本的なことが並んであって、それは歌と踊りという形で伝達していく。それは憲法を歌と踊りでやっているようなもので、それさえあれば後は全部構わない。ただ、生きていくためにはカンガルーをつかまえるとか、いつ鳥たちが来るのかとか、来たときに、今は鉄砲を撃ちますけれども、鉄砲でもいいんだけれども、どういうタイミングで撃ったらいいのかとかというのは、それは見て教えるんです。これも彼らの特徴の一つです。「お前、こうなんだぜ、こうなんだぜ」とは絶対に言わない。見て学べというか、見て学ぶのが本当だと。これは久保さんに話してもらったらいいけれども、向こうでコンピュータを入れたいんだけれども手伝ってくれといって、全然関係のない久保さんを口説いて行ってもらったことがあるんですが、そのときに、見て学ぶ大切さというものを久保さんが見つけて、久保さんがこういうことを言っていたよと。それがアボリジニのやり方なんですと。彼らは、言葉としては、生活の枠というものを受け入れないんですよ。見て理解するという、ここにも言葉の倹約があるというような気がして仕方がありません。

 さっき見せていた子どもが火をつけているのは、ただ単に遊んでいると思われると思うんですけれども、彼らはユーカリの林の中に定期的に火をつけるんですよ。それはユーカリの林が茂りすぎて極相になると、だれも入っていけなくなるから、わざと火を入れることによって、明るい疏林にしていくわけです。あいつらは火に強いから平気なんですよ。火が来ないとはじけない実があるというぐらいだから、そういう適応の仕方をしている。しょっちゅう火をつけているし、私らが行く乾季になったら、あっちこっちから煙が立っている。実はこの遊ぶやり方が、子どもたちのピアグループというのがあって、ちょっと年上の親分みたいな12歳か13歳のがいて、小さい子までいるわけで、それは遊びながら、   何々しながら火をつけるのを学ぶんです。だから、これも基本的に、「お前、あっちへ行け」、「熱いから注意しろ」というのはもう全部倹約して、自分が不安定なときは、みんな頼りになるやつのところについていく。それから、もうちょっと自覚していくと、その組織の中に入って、彼らは自発的に行動するというようなところがある。だから、彼らは言葉によって情報を得ない。見ることによって情報を得るというような感じのところがあるんですね。僕は最後に行ったときだと思うんだけれども、12歳か13歳ぐらいの子供が来て、僕らがスーパーか何かに行ったとき、横で大きい声で笑いながら行ったんですけれども、その言葉が、どういうふうにあいつらは思っているのかというと、「You don’t tell me what I do」です。下のやつがまねして笑う。

 今の白人の社会というのは、こういう法律があって、こういうのがあるから、こうしなきゃならないということを押しつけていくわけですね。「こうしろ」、「こうしろ」、「こうしろ」というわけです。それが彼らにとってものすごいプレッシャーになって、本当に白人がだめ。もうちょっとリアルなケースだと、小学校の先生なんか女の人になると、「女に言われることはない」という、これも彼らの世界の中で不文律があるんですよ。だから、絶対に聞かない。だから、男が非登校者になる。男の子が行かなくなることが多いんですね。そういうのは慣れてはきたけれども、女は割合にうまくいくんだけれども、そういういろいろな身分制度とか、そういうのは全部情報を遮断するような格好でやるのはなぜなのか。情報をシンプルにするのかな。長谷川さんちょっと考えてください。多分人間というのはそう必要なことは余りないんじゃないかと思うんですよ。基本的なことがわかっていれば、後はその社会を乱さないようにやっていけばいいと思っているのじゃないかと思うんですけれどもね。結論にも何にもならないけれども、こんな話で、久保ちゃん、コンピュータの話をしてやってくれる。それと俺のコメントと。

●久保正敏  今、小山先生のほうからご紹介がありましたけれども、私もアボリジニというのは何?という状況で、とにかくおもろいからといって、1988年でしたけれども、一夏オーストラリアのわけのわからんところに行って、アボリジニの人たちにコンピュータプログラムをつくってあげて、それの講習をするという経験をしたんです。

 典型的なエピソードは、私のつくったソフトウエアは、自動車工場の会計も含めたメンテナンスです。それまで会計処理は紙でやっていたのです。ところが、アボリジニの人たちは計算が弱くて、「1」と「2」と「たくさん」という世界です。それは極端な言い方をしているので、今は学校教育があるからちゃんと数字は習っているのですけれども、なかなか取っつきにくいので、アボリジニの従業員は計算間違いばかりしている。それをちゃんと計算のできるシステムを入れてみようという向こうの白人アドバイザーからの要請があって、我々が入っていったのです。でも、後からよく考えると、それをきっかけに、そのある自動車会社は、さまざまなコンピュータ導入、ITの資金を得たいがために、その実績づくりのために我々は狩り出されたのだというのが後でわかったのですけれども、それは置いておいて、とりあえず、泣きの涙で2週間一生懸命ソフトをつくって、アボリジニの人たちの従業員に講習会をしました。

 一人えらい調子のいいやつがおって、「イエス?ノー?と聞いてきたら、ここにカーソルを持ってきて、 Enter をするのやで」と教えると、「わかった、わかった」というている非常に調子のよい男と、もう一人典型的なのは、我々の輪から離れてじっと見ているだけの男がいるんです。調子のいい男のほうが、「お前一人でやってみい」といってやらせると、しょっちゅう間違う。でも、彼はなかなか偉くて、今は何かの代表になって選ばれています。もう一人のじっと見ている男のほうは、彼はシャイな人なのか、人嫌いなのかと思っていたのですが、あるとき、たまたま昼休み、みんな講習会場からいなくなるのですが、私が忘れ物をしてとりに帰ったとき、その男だけが部屋に居残って、パソコンを自分でいじくっているのです。あれっ!と思って、そっと見ていますと、実にうまく間違いなく動かしているんですね。実はその男の学習の態度が一番典型的だと後から聞いたんですね。

 結局どういうことかというと、先ほど小山先生の話もあったけれども、イエス?ノー?と突き詰められるようなディクテーションというか、そんな会話はアボリジニの社会にもともとなかったということもあるし、もう一つ非常に大事なのは、それと連動するんですけれども、物を教える・学ぶというスタイルが違うんですね。ある意味では徒弟制というか、先輩のやることを見て学ぶ、イメージでとらえる、イメージトレーニングの世界だと思ってもらったらいい。コンピュータの使い方にしても、私の教えているその姿を逐一ずっとイメージとして覚えた。それを自分なりに確認して、できると思って、こっそり実行していた。そこにたまたま私が居合わせたということです。

 その辺のことをもう少しメディア論的に整理していくと、これは無文字社会に共通の部分ですけれども、情報はコンテクストと非常に密着して取り入れる。ですから、ものすごくコンテクストセンシティブ。情報化社会あるいは文字をつくるというのは、ある意味ではコンテクストフリーにすることが情報化なんですね。ある意味では、文字を発明するということも、ある時間と空間のコンテクストからフリーにするから、その文字で後世にも別の場所にも展開できるわけでしょう。だから、そういう意味での文字をつくるということは、結局はコンテクストと離そうということだったんだけれども、狩猟採集社会に非常に共通していることだけれども、コンテクストがなかなか離れないという情報の伝達のあり方、あるいは情報の把握の仕方なんですね。

 その白人のアドバイザーにいろんな話を聞きますと、コンピュータのソフトだけじゃなくて、車の運転を学ぶときも全く同じだというのです。白人の運転する助手席に乗って、アボリジニの人が運転のやり方を学ぶのですが、例えば、ここの川を超えるときに、ここの石が見えているちょっとこちらに寄ってからそこへハンドルを切ってから入ると、車の底をすらずに川を渡れるとか、その現場、現場のコンテクストに即しながらイメージ的にどうも情報を学んでいくんだと。そうすると、先ほどお話になったように、安定した社会ですと、コンテクストというのはそんなに変わらないわけですから、余りその言葉がなくても、ひょっとしたら情報伝達ができる。それで十分だったかもしれないですね。だから、一つのポイントしては、非常にコンテクストセンシティブな情報伝達、それで十分な社会だったら、言葉やほかのものによる伝達は不要じゃないか。

 それから、先ほどアボリジニの絵の話が出ましたけれども、絵の話にしても、シンボリズムが幾つかあるという話が出ました。同心円は湖であったり、水であったり、草花であったりという、あれって多義的なんですね。一つのシンボルはいろんな意味があるんだけれども、それも全部コンテクストがセンシティブなので、コンテクストに応じて彼らが読みかえていく。しかも、コンテクストも、実はそれぞれの部族の人たちはみんな知っているというか、みんな学んでいって覚え込む自分たちの神話なんですね、創成神話なので、幾つかのつきものというか、「これとこれがあれば、あの話やな」とすぐわかるわけです。だから、余分なものは要らない。そういう意味で、非常にコンテクストに立脚しているというのが特徴だと思います。

 もう一つは、イメージ的だというのはどういうことかといいますと、これについてもおもしろい話がありまして、医学のほうでエイデティックイメージという言葉があって、日本語に訳すと「直観像」といいます。どういうことかというと、あるページなり何なりを見て、その記憶がイメージとして何十日も残るような現象です。日本人は非常に少ないんですけれども、そういう能力を持つ人が時々いるんです。榊原君(*神戸連続児童殺傷事件の犯人)もそれを持っていったとき、一時新聞にも「直観像」という言葉が出たことがあるんですけれども、それは別に榊原君が直観像だからという話では全然ないんですけれども、たまたまそういうのが一般の目に触れた珍しい機会だったので、ちょっとコメントしましたけれども、その直観像という現象は、どうも右脳と関係があるのじゃないかなと私は思っています。右脳というのは、ご承知のように、イメージ脳です。それについては、ちょっとおもしろい論文があって、オーストラリアの子どもたちのエデティックイメージなり、直観像を持つ能力の子どもたちがどれぐらいあるか比率を調べた教育学関係の論文を見つけたことがあるんですけれども、今ではアボリジニの子どもたちはみんな、西欧がつくったいわゆる制度化された学校に行って、英語あるいは母国語を学ぶという言語教育がされていて、文字も書くという教育をされているんですけれども、その学校に行く以前の子どもたちの中には、エデティックイメージなり直観像を示す子どもの比率が結構高いのに、学校教育をだんだん減るにつれてその比率が減ってしまうという話です。これはちょっとうがった見方をすると、イメージを司る右脳を言語を司る左脳がだんだんオーバーライドしていくのじゃないかというのが私の解釈です。皆さんご承知のように、右脳と左脳というのは、それぞれ機能分担していて、間の脳幹というやつで統合しているわけです。ですから、右脳と左脳の間の脳橋が切れた人というのは、事故なんかでそういう障害を持った人は、右脳と左脳は全然別のことをしてしまうというのがあるので、それぞれ独立して働いているんだけれども、ところが、脳橋でつながっていれば、どちらかに統合する。恐らく文字を学ぶことで、右脳のイメージ能力が左脳からだんだん押さえられていった結果ではないかというのが私の説です。ですから、そんなふうにイメージ能力が、アボリジニの人たちは文字を持たないという中で強いのじゃないかなというのが2点目のコメントです。

●小山修三  だから、僕もだんだん老いぼれてきたらわかるんだけれども、コンテクストとひっついたことしか思い出には残らないのじゃないか。




討論3

●野島久雄  ありがとうございました。

 最初のタイトル「アボリジニはなにを怒っているのか?」というのは……。

●小山修三  子どもが、「You don’t tell me what I do」というのは、これは実はもっと若いやつらに言われた。彼らが全体にそう思っているらしい。というのは、彼らの歴史があって、自由に暮らしていたのです。そこに白人が入ってくる。初めのときは、全部皆殺しとか、女だけ炊事とセックス用に使ってやるとかというような感じでやっていくわけです。それはだめだというので立ち上がったのが、クリスチャンなんです。この人たちがまたうるさい。ドクトリンというか、「こうしなさい」、「ああしなさい」、「まず神を信じなさい」と、とにかく口うるさい。このピューリタニズム的なところというのは、そういう社会じゃないのかな。「こうしろ」「ああしろ」と言って治めていく社会です。それがずっとじいさんなんかと比べていてもそうだし、これから若いやつが今ミリタントな動きをしているのがそうだし、子どもなんかも「You don’t tell me what I do」と喜んで合唱している。

 だから、彼らは今おもしろい使い方をしていて、白人は計算とか、行政とか、そういうものに国から来たお金を使うんです。それはそれというふうにカストに入れちゃって分離しつつある。白人に「お前はこうしなきゃならない」と言われるのをそういう形で逃げていっているのじゃないかなというふうな、そして、またそうしなければおさまらないと白人のほうも思い始めているようなところがある。それまで「彼らを同化しよう」という言い方が「彼らに自立してもらいたい」という言い方にシフトしている。だけど、ついあいつらといると、僕らでも「こうしろ」、「ああしろ」というふうに言いたがるんですね。だけど、彼らは実は自分で考えて、見て、学んでやる。今でも彼らの社会に行くと、怒りは感じますよね。それはうまく言えなかったのですけれども。

●佐藤浩司  そういうことですか、そういう解釈でいいんですか。社会的階層とか、親族とか、社会分類によって話してはいけない人たちがいるという話とそれはちゃんと結びついてないですね。何となくですけれども、言葉のインフォメーションというのは情報を伝えることだと我々は思っているけれども、彼らにとっては、言葉を話すということは情報を損なうことだとか、そういう感覚もあるような気もちょっとしなくはない。実際に自分が行動しているということは、言葉以上に情報が多くて、それに対して、何か言葉で言われてしまうと、その情報の一部しか伝えていない。それが怒りだとかいうような話にはならないんですか。

●小山修三  そうなるのじゃないですか。いや、いや、何でその情報を切るような状況に社会をつくっているのか。それと、情報を切ることによる彼らの世界観というものがあって、その一つの解釈としては、佐藤さんが言ったように、言葉にして言ったときに当たらないようなとこもあって、何かすかたんとか、一部だけつくようなものでしかなくて、僕らの理解の仕方というのは全体的な行動そのものなんだなと思っているようなところがあるのじゃないですか。

●佐藤浩司  聞きたかったのは、つまり、話を聞いていると、単に言葉が嫌いだからとかというふうに聞こえてしまうんですね。

 逆に、もう一つ聞きたいのは、彼らは電話は使わないんですか、今のこういうメディア社会において、電話に対してどういうことを考えていますか、無線機でもいいですけれども。

●小山修三  これがまたおかしいんですね。ずっとしゃべっている。ただ、その電話でのしゃべり方も俺らと違うんだよ。前の無線電話みたいなもの、ラジオテレホンがあったけれども、どうも演説しているみたいなんです。演説というのは、どうも歌を歌っているようなところがあって、彼らのさっき神話の世界があると言ったけれども、もう一つヒストリーというのがあって、日本人なんかも入ってくる別の歴史もあるんです。だから、そのヒストリーに当たってくるようなところを言っているのか、僕は彼らがしゃべっているということがわからないということもある。

●佐藤浩司  しゃべっているということは、しゃべるということについて、ある種の信用は置いているわけでしょう、電話があれば。だけど、対面的なコミュニケーションの場では、しゃべるということが何か十分でないという感覚があるのかもしれない。だけど、必ずしもしゃべるということが粗末に扱われているというふうには考えられないですね。電話をそれだけ使っているということは。

●小山修三  答えはよう出しませんけれども、みんなにパズルみたいに考えてもらいたいんだけれども、電話というのは、人に対面してないからいいんじゃないのかな、あれは。

●久保正敏  コンテクストがないので、しゃべらないといけないという解釈もある。その場にいれば、コンテクストがあるので、別にしゃべらんでもいいという解釈もある。

●須永剛司  情報に満ちあふれているのじゃないですか、その現場は。情報がないんじゃなくて、情報に満ちあふれているから言葉は要らない。言葉は結構余計なもの、佐藤先生の言っていることと近いのかもしれないけど、言葉は余計で、言葉は言わないほうが、コンテクストと自分の生きている目的をリッチに受けとめてやっていけるのに、なぜしゃべるんだよ、うるさいなと、そういう言葉というものを扱っているのじゃないかな。

 それと後、だから、リアリティというのが、一つそういう言葉の少ない、だけど情報がリッチにあるリアルな世界と、もう一つ、今の神話とかヒストリーみたいにリアルにないものに関しては、彼らはある種の語りというのは必要なんだけれども、それを言葉じゃなくて、絵で描いて、絵を語りの形式にしているのじゃないかなと思う。

 僕は美術大学にいるんですが、アボリジニと美術大学は親和性が非常に高い。まず僕が思ったのは、おっしゃっていたことだけれども、小学校から高等学校まで言葉の教育を徹底的にされているから、美大に入ってきた学生たちからその幻想というのか、美術をやる人たちは言葉をしゃべっちゃうとうまくいかないんですよ。それを取り外すのに1年も2年もかかる。その信仰をそうじゃないと、知っていてもだめなんですよ。だから、僕らが今、本当に大事なのは、知っていることじゃなくて、できること。だから、「あれも知っている」、「これも知っている」という大学生にいっぱいで会うんだけれども、僕らは、それは専門家になるためには全然役に立たないと、本質的には。知っている、知っていると言うんじゃなくて、「あなたは何かできるんですか」と、そのことを問うような教育を我々はせざるを得ないんです。

 そういう立場から今のお話を聞くと、アボリジニは、まさにやることが大事なのじゃないかな。それについて語ることよりも、そのリアル、語るとしたら、神話かヒストリーという形で何か残したり、語ったりしているという、そういう印象を受けて、一度アボリジニに会いに行かないといけないなと思いました。

●小山修三  小学生でも、4年生か5年生ぐらいからガクンとおもしろくなりますね。

●須永剛司  そうなんです。それをひな形がないと絵に戻れない。

●小山修三  何でも聞いてください。

●野島久雄  アボリジニの世界というのは、非常にリッチというか、あまり食えないことはなくて、のんびりしていれば何か食っていけるという、そういう感じがするんですけれども、そうでもないですか。

●小山修三  いや、厳しいですね。特に砂漠なんかに行ったら、水がない。そうかといって、飢え死にしたような記録とかはないのかな。黙って死んでいくのかな。機動性があるからね、それはよく読みながらスッと動いていくというのはあります。けんかしたら、妻側につくとか、移動性はいいです。ローンがあるから動けないとかという感じではないですね。

●國頭吾郎  リアルな世界にありながら、言葉でないと表現できないものはどういうのがあるかということを考えていたのですけれども、例えば、方角とか、時間であるとかという概念は、恐らく「これ」とか示せないものですよね。時間はちょっとわからないんですけれども、先ほどの水の話で思ったのですけれども、よくミツバチが蜜のある方向を伝えるというのと同じように、「こっちのほうに行けば獲物がいるよ」とか、「こっちに行けば水があるよ」といったものは、どうやって伝えるのでしょうか。というか、そういうのを彼らは伝える必要がまずあるのでしょうか。

●小山修三  砂漠のほうでは、神話の中に水場がずっと読み込まれています。それは水脈みたいなものがもう限られているからと言われています。砂漠の絵で背景にある話をきくのがはやっているのですけど、聞き出して。それは白人的なやつでしょうけれども、それは「ここの水場へ行って、ここの水場へ行って」という水場がポイントになりますですね。

●國頭吾郎  ということは、やはり言葉でないと残されないような抽象的概念というのを神話に織り込むということで伝えていくという、そういうスタイルだと理解すればいい。

●小山修三  基本的なことはそういう気がします。

●國頭吾郎  神話がビデオテープになる。

●佐藤浩司  神話は再解釈可能なんでしょう。読み替え可能なリソース、そんなことはないですか。

●小山修三  いや、そこまで突っ込んで聞いていない。けど、何かぼうっとした大筋は通っているみたいです。今は車で動いたりする。僕は一度歩いたことがある。パンクして60キロメートルぐらい夜中に歩いたことがあるんです。それはだんだんアボリジニに似てきたのかもしれないけれども、自分の記憶をたどって、こう行って、こう行って、あそこの水場、あそこの水場、あそこの水場と3つぐらいに分けて、行って休んで、行って休んでというふうにして、最後のところで座って待っていたら、朝になって、車が来て、引っ張って上げてくれた。それは別に神話は知らなかったけれども、やっぱり動き回っていると、こういう道を通ればいいなと、それは正しいという。後で白人に褒めてもらって、 wellcome to the party と。みんなああいう変なところに入っていったら、車が動かなくなったとか、何だかんだと苦労しているんですよ。「お前も一緒じゃ。認めてやる」と言われた。それは動いたことによる知識でしょうね。

●山本泰則  お話の中で、言葉は使わない、制限しているとおっしゃいましたけれども、それと、その親族組織が複雑だというのとは何か関連はあるのでしょうか。例えば、文脈を大事にすると言っておられましたよね。だから、親族組織を複雑にすることによって、その文脈を豊富にしているとか、何かそういう解釈とかができないのかなと思ったんですけれども。

●小山修三  なさってほしいんですけど、だから、なぜ切るのかなと、なぜしゃべっちゃいけないとかいうのか。よく例えば妻の母親にしゃべってはいけない、これはあるんですよ。それは人類学者の今までの説明では、女房の母親とできたら困るやんけというようなセックスの問題に入っていくんですよ。やっぱり結婚がすべてみたいなところがありますからね。だけど、そういう今までどおりの解釈をとうとうと述べてええのかいなという気が昨日まとめながら思ったので、むしろ俺はこうだと思わないで、みなさん情報の専門家だから、いろんな意見を言ってくれるほうがいいかなと思うんです。

●山本泰則  複雑な親族組織があるために、言葉で使えなくてもよいことがたくさんあるという、そんなふうには考えられないのかなと思って聞いてたんです。

●佐藤浩司  セックスもコミュニケーションだし、言葉もコミュニケーションだから、そのカテゴリーの違いだけじゃないですか。

●小山修三  一番言われるのは妻の母親とはしゃべっちゃいけないという、これはアフリカとかいったところにもあることなんですね、アボイダンスというのは。それはもういろいろ解釈できるような気がしますけれどもね。ここは、久保先生みたいにシンプルに考えて、情報論的にやるのも手かなあと。

●新垣紀子  大変興味深い話をありがとうございました。そもそもアボリジニの言葉の種類というのは、見て学ぶという話がありましたけれども、言語のバリエーションというか、それがそもそも少ないということはあるんですか。バリエーションというか、表現できる単語の種類、例えば、単語の数ですね。数字に関しては、「1」と「2」と「たくさん」みたいな感じだという話もありましたので、例えば、言葉の数が全然違って、何かを表現するとき、体で表現したほうがわかりやすいとか、そういうことはあるんでしょうか。

●小山修三  日本語の今の英語の問題みたいに、新しく入ってきたものはないですよ。だから、神戸に行ってリパリパというけれども、あれは丸木船のはずだけれどもなあと。いや、神戸港にはリパリパがいっぱいだったと聞いて、横でちょっと笑っていたりしたことがあるんですけれども、だけど、車のことを「トヨタ」と言ったりとか、「朝までコンピュータ」なんていって新しいものには対応できないけど、形容詞があるとかないとか、基本的にボキャブラリーが貧弱だとか、そういうのはない。

●久保正敏  言語学者じゃないけど、世界の言語でそういう貧弱な言語というのはないということです。

●新垣紀子   言い方がよくなかったのですけれども、表現できるものは同じだけれども、そういう見て学んだほうがいいから、学んでいるだろうということなんですね。

●小山修三  見て学んだほうがいいのかね。僕らは、学校教育があるために、それに毒されているのじゃないかとだんだん思い始めましたね。基本的にそういうものじゃないかな。

●新垣紀子  若い人たちはその英語教育が結構入っていって、英語で話しているということですけれども、その表現の仕方とかが、英語を学んでいない人と学んでいる人で違ったりとかはあるんですか、その見て学ぶ量がどれぐらい多いかとか、言葉で表現する量が変わるかとか、そういうことはあるのでしょうか。

●小山修三  向こうの言葉もろくろくしゃべれないから、赤ちゃんぐらいしかしゃべれないから、だけど、日本や何かを見ていても、やっぱり義務教育を押しつけられたときは、一方の方にスッと寄っていくというのはある。ステレオタイプの形ができてくるなという感じはありますね。

●新垣紀子  ありがとうございます。

●須永剛司   今の新垣先生の質問にかかわったことを言いたくなっちゃったんだけれども、見て学ぶというか、学ぶということのゴールができればいい。テストをやって、80点、何10点という世界があるというのは、それは言語の世界ですよね。だから、知っているか知らないかを確かめるというのは、言語の世界でつくられたマナーなので、きっとだから、僕の想像だけど、アボリジニの人たちが学ぶというのは、別に言葉は要らなくて、人のやっているのを見て、その人ができるようになればいい、できなかった人ができるようになるということが学んだことだといえば、そこには言葉は介在しないで、ちゃんと火をおこしたかなとか、何か料理をつくれたかなとか、直せたかなとかということで学びが成立していると、言語はちょっとセカンダリーな存在かもしれないなと思う。僕はそう思っちゃった。

●新垣紀子  文字がないから本にする必要もないしということですね。

●須永剛司  文字がないからというのではなくて、文字にする必要がないというふうに思えちゃったのです。

●小山修三  だから、彼らの領土に入ったときは、村に行ったときは、もう全部「こうしちゃいけない」、「ありがとうございます。しちゃいけない」とかという規制が僕にかかってくるんだけれども、ダーウィンとか、シドニーとか、そういうところに行ったら、もうおとなしい。言うとおり聞くわ。言うとおり聞くといったらおかしいけど、「こっち行く」、「あっち行く」と言っても、もうまる。私みたいな、酒を持ってこいとか、そういう暴れたりはしますけれども、そのほかは、久保さんの言うコンテクストの中身がもろに生きているのかなという気がする。離れたら、もうだめ。

●須永剛司  それでお聞きしたかったのですが、アボリジニたちは砂漠の中をいろいろ歩き回って、狩りをしたりして、その土地について、地形とか、水とか、植物とか、動物とかについては、業界、老若男女、どこに何があるかは非常によくわかっている。聞きたいのは、土地というものの上で生きているときに、彼らにとって、土地のありようというのがすごいコンテクストになっていて、だから、言葉で言わなくても、「う~」といえば、大体あそこに行くことがわかっちゃうようなね。そういう意味で「知っている」というのかな、そういう状況は強くあるのでしょうか。

●小山修三  それに近いと思います。

●角康之  地図とかもかかないんですか。

●小山修三  絵にかく。さっきのやつなんかでも、ああいうやつを見て、これがアーリーストリングスで、こっちがエアーズロックだなみたいな。

●須永剛司  写真はね、絵が、、、

●國頭吾郎  何か記号みたいなものはあるんですね。

●小山修三  ○○とか。

●國頭吾郎  ええ。

●小山修三  でも、その記号が全員がわかるというものでもないような気もするな。どうなんだろう。

●久保正敏  いや、コンテクストによって読みかえは、その神話を知っている人は即できるのでしょう。

●小山修三  こういうふうにして考えると、本当にええかげんなフィールドワーカーだったと思います。

●須永剛司  シンボルを学校で教わって、覚えてね、覚えたシンボルを応用して地図を読んでるわけではないんです。もうはじめから全部知っているんです。全部知っている人が、そこにあるシンボルを共有して、これは水にしようとか、人々の生活が違ったら違うように読むんだろうけれども、だから、順序が先にもう行える人たちが集まって、絵なりシンボルを活用している。我々の合理的にできているこのモダンな社会からすると、まず、学校でいっぱい知ることを覚えて、知ることをたくさん持ってから、徐々にできるようになるよねという順番で私たちの社会はできているけれども、それと逆なんじゃないかな。

●小山修三  記号というものをもっと埋められたような格好。

●久保正敏  いや、記号を教えるなよと。    の記号は地面に残った痕跡なんですよ。そこはまさに狩猟の人たちなんですよ。だから、例えば、動物の足跡はこんなんだよという。

●小山修三  それはある。

●久保正敏      が砂浜で子どもに教えたりする。

●小山修三  カンガルーの足跡とか、エミューの足跡とか、そういうのにピタッといっているときもあるね。久保ちゃんらが言っていたのかな。何でも二次元であらわしてしまう、平面にあらわしてしまうと。

●久保正敏   シンセイキブン型とか言っていたのですが、時間もカカルソンザイ 。

●角康之  わからなくなってきちゃったのですが、さっきは何か記号をつくる、使う、使いこなすというのは、知識を汎化させるというか、体験の目に前にあるものを汎化させて、ほかの場面でも使えるようにしたいから、記号とかを使ったり、いっぱいの言葉を使うのかなと思っていたので、やっぱり多重な世界にいなけりゃいけないような人は、言葉を使ったほうが便利だと思うんですが、世界は一つみたいな感じの人には、もしかしたら言葉とか記号なんか要らないのかもしれない。非常に極端な話、そんな話かなと思ったりもしたのですが、そんなんじゃなさそうですね。

●久保正敏  そこは一般じゃないと思いますよ。

●角康之  それで、また別の素朴な疑問なんですけれども、言葉を使っている人たちがそんなにいっぱい来るわけですね。缶詰に字が書いてあったりとか、そういうのがあって、「何か便利そうだな」と思って、「使おう」と、あっさり使い出しちゃえということはないんですか。それでもやっぱり使わないのはなぜなのか。

●小山修三  何?缶詰?

●角康之  缶詰でも何でも……。ごめんなさい。文字ですね。文字がいっぱい書いているようなものを目にして、「それはそれなりに便利そうだな」なんてあっさり受けて入れちゃったりということはなかったんですか。

●久保正敏  もともとアボリジニの言語には文字がないんです。だから、入ってきた文字というのは、結局、英語を通じて入ってきた文字なんですよ。基本的に狩猟採集の時代は文字なんかないじゃないですか。農耕が始まってようやく文字が発明された。

●角康之  じゃ、英語なり何なりそういう字を使うこと自体は否定してないというか。

●小山修三  否定していない。

●角康之  自分たち独自の文字はないままで来ちゃったという、それだけのことで、文字を使うということ自体は、使い方というのを一度受け入れれば、使えちゃうんですか。

●久保正敏  はい、そうです。だから、文字を学ぶにつれて、先ほど左脳が抑えられるのと違うかということを言いましたけれども、だから、基本的なスタイルとしては、文字社会の特徴であるイメージ的な、あるいは文脈に依存したコミュニケーションというほうが多分合うんだろうなと。文字を持たない社会のコミュニケーションというのは、すごく文脈に依存するというのは、ほかの無文字社会でもいっぱいその事例はある。

●小山修三  数字が「1」と「2」とか、複雑なところだと「5」とかあるというけど、ところが、「 100 ドル」、「 200 ドル」、「 1,000 ドル」という計算をしなきゃならない。これどうやるかという問題がある。これは緑、黄色、赤と分けるんです。緑が1ドル、黄色が20ドル、赤が50ドルというふうに分けて、赤2枚、黄色が1枚とか、そういうので処理しちゃう。

●野島久雄  先ほどから、要するに心理学の分野だと、まさにピアジェの発達段階のような話で、あるいは学校教育というのに入るか入らないかで全然考え方がちがってしまうのか、同じような文化で学校教育を受けている人たちとそうじゃない人たちは全然思考過程が変わっちゃうんだという話があって、1960年代ぐらいまでは西欧型のほうがちょっと上よみたいな話があったけれども、それが最近というか、1980年代以降、そういう考え方はやっぱりまずいのじゃないのという見返しが心理学の分野でもある。まさに今出ているアボリジニのリッチなコンテクストの中で考えていくとか、あるいは、そういうのをすれば、文字を学ぶことによって、あるいは、そういうことで、先ほど先生のお話の中にありましたように、そういう形でキリスト教的に教育する、あるいは文字を教育する、あるいは西欧の思考で教育するのがよくないんじゃないかという話も出てきている。でも、本当にそれが10%あるのかどうかというのがまだよくわからない。

●小山修三  そうですね。やっぱり若いので、ビューロプラティックなのが好きなのがいたりね。ああいう夢のような世界というのはもうなくなっていっているでしょうね。だから、根元にしか残らない。今しっかり聞くと、随分違っているのじゃないかなと思いますよ。私の行ったのは1980年代が一番密に行きましたから、それから比べると、住居も違ってきているし、あのころは、私らを入れてくれたのは、車を持っているからというんですよ。あいつらが30人ぐらいの村で車を持つというのは大変だったんですよ。それを僕が車を持っていった。そしたら、運転手に入れてやると。そのかわり、朝から水を汲みに行け、何をしろと、宅配人みたいな生活してましたけど。

 だけど、やっぱりずっと暮らしていて思ったのは、いかに基本哲学が違っても、決して彼らは劣っているわけじゃなくて、むしろというか、僕らが西洋の進歩主観的なものにちょっと侵されていて、エフィシェンシーだけいうと、こっちがいいのはわかっているんだと、今はだんだんそう思うようになりました。

●野島久雄  まさに須永先生が先ほど言われた市民芸術みたいな話で、我々だって、今さら年寄りの人の地形のなんかを絵にかいて見せてもらっても、それほど役には立たないわけですね。自分自身の生きていく上では、何というか、儲かるわけじゃないけれども、それがある種のリッチさというか、何らかの違う価値観みたいなものを提供してくれて、ある意味アボリジニの世界が失っていくかもしれないものを持つということに、その積極的な意味というのはどの辺にみたらいいんですかね。

●須永剛司  そうですね。僕は、先生の話を聞いていて何となく自分の絵が見えてきたのかもしれないなと思ったのは、言葉がドミナントなだけの社会は、やっぱり余り豊かではないんです。言葉というのは、何ていうかな……。

●小山修三  多摩美に行かなきゃだめだということです。

●須永剛司  もちろん来ていただくと楽しいんですが、バランスだと思うんですね。余りにも言葉が優勢な社会ができちゃっている。市民芸術表現は、言葉じゃないものを、IT技術というのは、そもそも言語的な技術なんだけれども、その技術を使って言葉じゃないものをあそこに発散させるということをやって、みんなに言葉じゃないものの豊かさというものをまず体験してもらおうと、そういう感じが強くあると思うんですね。そうすると、社会というのは、どっちか片方だけではできていないから、言葉のカウンターパートとしてのもう一つの力みたいなものが、みんなが認識したりする、手に入れて覚えたりして社会全体が非常にバランスよくなるのじゃないかと思うんですね。それが何だかちょっと言えないけれども、だから、僕は、知っていることじゃなくて、できることのほうを育てるような社会のためにまず表現をして、表現を伝えるという、表現できるというところをああいう技術がそういうプラットホームをつくってもいいかなという、そういう感じがするんです。だから、さっきの百科事典、佐藤先生がおっしゃったように、逆というか、違ったオリエンテーションがあるのかもしれないですね。何が出てもいい、それが出てみんなに見えるようになるということがすごく大事なんじゃないかなと思います。十勝のほうはアボリジニ的な表現。

●小山修三  きょうは、僕は、皆さんの話を聞いて、こんなこけおどしにアボリジニの話なんかするのじゃなくて、千里ニュータウン展の話をすればよかったなと思ったんですよ。これは千里ニュータウンで階層が2つに分かれてきたんですよ。働き盛りに入った連中と今四十五、六歳ぐらいの若いときから育ってきたやつと完全に分かれてきて、その四十五、六歳の連中を僕は「千里土人グループ」と呼んでいるんですが、ものすごい土地に対するアイデンティティとか、何か南さんみたいな顔をしている。そして、千里は日本で一番早いとかいってタマダ の人が怒ったりとか。ブログを立てたときの反応とか、私はほとんどわからないんですけれども、ブログはよう自分で入れないぐらいですけれども、そういうものの反応とか、デジタルデバイドって文句を言っていたけれども、ブログを自分で見ないで打ち出してくる人がいるんです。「こんなこと書いていいのか」とかいって、その情報のところで混乱が起こったり、ブログを立てるときに、3層ぐらいできる。ブログが一番上になって、その下にグループメールがあって、悪く言うときはもう一つ個人メールがあって、そのほかに困ったとき電話を使っているんですよ。本当にアボリジニ人と同じや。そういうのは、僕はこっちはわからないから、みんなすごそうなのがいたから、その話でこうやれるとか聞きたいなと思いました。

●佐藤浩司  きょうのセッションは非常におもしろい、成功してたと思うんですけれども、そもそもアボリジニの話をお願いしたのは、知識とは何かとか、情報を伝えるとは一体どういうことかということを多分相対化してくれる、そういう問いかけをしてくれると思ったからなんです。我々は、情報というのはどこかから与えられて、知識というものは学校とか、百科事典もそうですし、どこかから与えられていて、正しいものがあると思っていて、情報を伝達するということはよいことで、必ずそういうよいものが回っているんだという思い込みがある。でも、アボリジニの話なんか聞くと、情報を伝えることが必ずしもいいことではないし、知識だって、本当に我々が考えている知識が正しいかどうかもわからない。

 岸野さんに聞きたいのですけれども、ウィキペディアというのは、我々が抱えているところの知識伝達システムを完全に覆しているのではないか。それですごくおもしろくて、しかもそれはオーソリティが与える知識じゃなくて、みんながつくり上げていく知識で、本当は正しいか正しくないかということよりも、そっちのほうが重要だと思うんですけれども、でも、つくり上げていくにあたって、ウィキペディアにかかわっている人たちは、実はそこまで、そういう見通しまで持ってなかったということはちょっとショックだった。こういうアボリジニの話を聞いて、自分たちがかかわっている知識をつくっている側についてどういう感想をもちますか?

●岸野貴光  ウィキペディアというのは、すべてを文字に還元してしまう世界なんだなあということ。ウィキペディアでできることというのは、かなり限られていると思います。

●佐藤浩司  いや、かなりのことを覆していきつつあると思います。これはやっている本人たちが自覚していないだけで。

●岸野貴光  とりあえず私が考えていることは、専門家の人が見ても「まともだな」と思える水準にそろえたいという、そんなに大層なことをやっているわけではないし、それだけです。

●野島久雄  例えば、先ほどの中立性の話ですけど、価値がある、情報なりの情報の伝達ということで言えば、例えば、ここで僕の父親のことを書いていたとする。そういう話というのは、多分客観性もないし、あるいは、ほかの再現性もないし、あるいは、  的でもないし、  なと思うんだけれども、我々の思い出の研究みたいなことを考えていくと、多分こういうデータベースの価値みたいなもので、もしかしたら我々にとって価値のあるようなすべての情報、例えば、僕の父親が僕の思い出だとしたら、それを書いておく。例えば、小山先生についてはウィキペディアの目的として、載っている価値があるだろうと思いますけれど、それなら、僕はどうなんだ。大学の先生をやっているんだし、本を書いているから、きっと載せてもおかしくはない。それなら、僕の父親も一緒だと思う。父親は全然本も書いていないし、ごく無名な人だけれども、僕が書こうとおもえば父親のエントリーだって書きますよね。そういうのっていうのはいいんだろうか。

●岸野貴光  えー、削除依頼で削除されるとおもいます。

●野島久雄  でしょう。だから、そうするとね、なぜそこで削除しちゃうのかなというのがあるわけです。我々は、多分佐藤さんの話でも、そこのところを削除する理由はないんじゃないのという話がきっとあって、だから、この目的からすると、そういうのははじかれていくんだろうなと思うんだけれども、我々のもう一つのもっている世界の思い出アーカイブとか世界の知識みたいなことを特に考えていくと、そこにはきっと僕のおじさんの話であるとか、全部載っていて、いろいろたくさんノートがついてくるのかもしれないけれども、でも、そういうのもありの世界なのかなと。

●岸野貴光  だから、ウィキペディアの理念自体に         ある。

●野島久雄  百科事典というのは、そもそも啓蒙主義の産物だからしようがない。

●OBS  921事件のあとに犠牲者の   がばーっとできたんですね。それは最初網羅的にやってきたんですが、そういった有名人ではない個人の   が範疇にはないということで、別のアメリカで個人の家系図みたいなものをつくろうということをやっている人たちがいて、そちらに吸収されていった。ウィキペディアの考えていたイメージからはそういうのは消えていった。

●野島久雄  だから、それはまあ現実的な解決。

●OBS  だから、一人ひとりが持っている百科事典   。

●佐藤浩司  そのイメージをアボリジニの話は覆さないかというのが仕掛けではありましたけど。

●OBS  だから、それは    のデータベースではそういった形に    

    ありますし、        。

●久保正敏  それこそ混ぜなくて、別のブランチでもいい。

●小山修三  さっきアボリジニは死者の名前を言わないというようなことを言ったときに、彼らがしゃべらないことというのを考えていくと、今、コンピュータだとか、ITだとか、写真だとか、そういうのでずっともめているプライバシーの話が全部飛んじゃうんだよな、神話までいくと。だから、死んだら知らんふりする。だから、今、個人の名前がすごい邪魔になってきている時代でしょうね。

●OBS  そこで一つ基本的なことをお伺いしたいんですが、創世神話をつたえるときに、アボリジニの社会の中に神話をまもるある職業的なり、親族構造の特権的な集団のようなものがあるのでしょうか。神話の中で例えば祖先であるとか、死者の名前を言わないのであれば、どういう形で      。

●小山修三  神話で人の名前を全然言わないと。

●OBS  それをどういうふうに神話の中に        。

●小山修三  コウワンジュクシスターズとか、ワニの、カンガルーウーマンとか、全然出てこなくはないよ。2人姉妹なんかそうだよな。名前あるよ。あるのもあるよ。だけど、カンガルーウーマンとか、○○男とかいうような感じはあるね。

●OBS  通り名ではなくて個人名ということですか?

●久保正敏  神話で個人名というのはほぼでてこない。

●OBS  死者とはまた切れたという、、

●清水郁郎   神話には個人名は入ってませんね。象徴的な英雄だとか    

そういう形で                。

●小山修三  もう一つは何だ。

●OBS  世界の中で神話を語る人というのは?

●小山修三  そういうのは何となく一番よく知っている人というのとか。

●久保正敏  一番年齢が高いほどよう知っているはずやという前提があるのでね。いや、職能集団ではありません。だれでもある年いったら語る概念があります。

●小山修三  清水やなんかやっていて、もうちょっと階層化された村とかになると、ちょっと職能化は起こるか?

●清水郁郎  僕は北タイですけど無文字社会だったんですが、神話の語り手というのはかなり限定されていて、テキストをやっぱり暗記しないといけないですから、それはかなり意図して学習しないとできない。そういう責任があります。

●小山修三  文字があるところ? 無文字や。

●加藤ゆうこ  絵のことなんですけれども、例えば、数詞が「1」と「2」と「それ以上」でいいというような話と、あと、基本的に狩猟というのもあってものを持たない社会だというので、この研究会の中に「物」というのが入っているので、それをどうしても考えてしまうのですけれども、例えば、この絵については、プレゼンテーションの中にあった壁に書いてあるほうの絵は、いつだれが書いても、残っていれば見られるのですが、このユーカリの皮をのばしてつくっていったほうの絵は、ある種の財産的なものになって、どこかに保管されていたりするものなのか、あるいは、その書いた人が、例えば、ストーリーとして、書いた人が死んだら、一緒に埋めちゃったら、それで終わりなのかもしれないのですけれども、そうじゃなくて、何か継いでいくものとして、そうすると、再解釈は次の世代がどんどん勝手にしていくと、同じ絵でも。そういうメモリアルなものなるのか、それとも書いた人に何か特権が付与されていくのか。その絵が、この中で、きょうのお話の中では、リアルなものとしてはすごく珍しく出てくるマテリアルなものなので、これの扱いについてちょっと教えていただきたい。

●小山修三  これは、彼らが貨幣経済に巻き込まれて、または物々交換とか、そういうものに巻き込まれて出てきた一種の商品なんですよ。壁に書いてあるのは、あんなものは金にならないので、むしろ壁を見て、研究して、高く売れるものとか、そういうふうなのは、これはもうはっきり起こり始めているし、抽象画がはやったといったら、抽象部分をやったりとかというような別の動きがある。だから、基本的には、洞窟とか岸壁にかかれているものがかいてあるだけで、前にかいてあるやつの上にまたかいたりしているという、商品化みたいな感じではない。

●加藤ゆうこ  絵を見て、それを解釈するということで、アボリジニのある種の絵がこの社会のメディアなのだという解釈はすごく新しいことであって、アボリジニというのは、絵をかいて、それをみんなで解釈し合って何かやっていくものなんだというふうには言えないという、何かこれは非常に新しい商品として彼らが取り込み始めたからあるのであって。

●小山修三  それはずっとあるみたい。あそこに初めキャンバスに描いてましたけれども、昔はお祭りの場でずっと手でかいていったとか、そういうふうなものがあるから、それを再生産していこうとしているだけです、今の経済に乗るために。やっぱりどんな絵をかいても、「この話は」という話がついて、僕らみたいに、バラの花が机の上に置いてあって、あれは幸子さんがくれたとか、そういうふうにはならない。花は花で見ているけれども、もっと神話の中に組み込まれたものみたいですね。

●久保正敏  集団内で神話を伝えるためのメディアが絵であるというだけで、絵を完璧にかいたり、そこらの木にかいていたのを、白人が来ておもしろい、おもしろい、これは売れまっせということになったので、はさみで切り取って、額に入れたり商品にしているので、もともとは神話を世代間で伝えていくためのメディアだった。

●加藤ゆうこ          前からある?

●久保正敏    前からある。

●小山修三  きょう、こんな話で悪いけど、アボリジニは普通の人でっせ。特に変わった人でないというのが長い間やってきた実感ですな。土人だからどうこうという感じではない。普通の人です。

●野島久雄  よろしいですか。どうもありがとうございました。(拍手)





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